シーボルト来日200年

 今年は出島オランダ商館医シーボルトの初来日から200年。長崎市内では、おなじみの肖像画のポスターをあちこちで見かけ、記念の展覧会や行事もめじろ押しだ▲シーボルトと言えば、長崎に鳴滝塾を開き、病人を診療したり西洋医学を教えたりした医者のイメージが強い。だが、その実像は、日本の動植物から生活、文化まで網羅した研究に生涯をささげた日本研究者だった▲シーボルトは欧州に帰ると「日本博物館」開設を構想した。日本で集めた膨大な資料をオランダやドイツで展示し、日本の紹介に努めた▲異文化への理解を深め、差別や偏見をなくしたいという思想が根底にあった。力による植民地支配を進めていた19世紀の欧州では、かなり進歩的だった▲そんな人物だから長崎で実に多くの人と交流し、親密な関係を築けたのだろう。長崎にとってシーボルトは医療で命を救ってくれた「恩人」というだけでなく、国際交流の豊かな歴史の中でも特に濃密な記憶の1ページであり続けている▲シーボルトは「日本人は決して恩を忘れない」と評した。その言葉通りに顕彰や研究活動は絶えず続いている。最期は母国ドイツで「今から驚くべき美しき国、平和の国に行く」と言って息を引き取った。その魂は今も長崎にいるような気がしてならない。(潤)

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