発見された“ 幻の平和公園 ”イメージ図 1949年当時から「原爆ドームを大切に思う気持ちを込めたデザイン」

実際には採用されなかった平和公園の設計図、いわば「幻の平和公園」のイメージが先月見つかり、広島市公文書館で公開されています。

平和公園を整備するために実施された設計競技に応募した作品が発見されました。制作者は、建築家の故・佐藤重夫氏さん。

佐藤さんは、その後、広島大学の教授として、原爆ドームの保存工事を指揮しました。

広島市公文書館 渡辺琴代 さん
「公園の部分とドームの所に新しい橋を架けて、ドームの方から公園・平和記念館の方に誘導するような工夫がされていたり、川を挟んでドームと記念館が向き合うように工夫していて、大切にドームのことをその時点で考えて、そういう気持ちを込めて(設計を)作っていらっしゃるんじゃないかな、ということがうかがえる」

広島市によりますと、1949年に平和公園を整備するために実施されたコンペには、145点の応募がありました。しかし、1等となった建築家、故・丹下健三氏のグループの案を含め、応募作品の原本は1点も見つかっていませんでした。

佐藤さんが応募した作品は、先月、専門家が遺族の家で見つけたということです。

平和公園の歴史を知る貴重な資料は、広島市公文書館の企画展で来年2月まで公開されています。

取材後記:
平和記念館の立面図と平面図をよく見ると、「収容人員合計2534人」と書かれた客席と、オーケストラピットを備えたステージがある大きなホールが書き込まれています。
「被爆後の町では、皆で集まって歌を歌って励まし合った」という話を色んな方から聞いたことがあります。もしかして佐藤さんは、そういった場を平和公園の中心に作りたいと思っておられたのかなぁ…と想像が膨らみました。

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