小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=69

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 近所のものに経緯を知らせに行き、遅れた山路は馬で駈けつけてきて、狼藉者の前をふさいだ。先頭を歩いていたダミオンは、手にしていた酒瓶を山路の馬の鼻面にたたきつけた。驚いた馬は前脚高く跳ね上ったが、山路は落ち着いて手綱を引きしめ、スポーツマンらしい機敏な動作でダミオンの顔面に鞭打ちを見舞った。相手は悲鳴をあげ両手で頬をおおった。すかさず、浩二が男の胸ぐらを鷲掴みにして、素早い足技を仕かけた。酔っていた相手はたわいなく地面に横転した。男は立ち上がらなかった。もう一人の仲間が、絶望的に浩二へ襲いかかった。再び山路の鞭が宙空を舞って、黒人の背中深く食い込んだ。
「ざまあみろ」
「図体だけの腰抜けどもだ」
 山路が言い、一同が油断した隙に、突然、ダミオンが近くの棉畑へ逃げこんだ。棉摘みの終った畑は、昨年開墾されたばかりで、焼け残った倒木やその枝が、網の目のように重なっていたが、男はその間を、リスのごとく縫って走る。獲物と対峙した犬が、相手の弱味を衝いて追跡するに似て若者たちは幅広く左右から追いつめて行った。
 夕闇がせまっていた。黒一色の荒蕪地の斜面を、白シャツの姿が点々と動いた。追いつめられたダミオンは、大木の株に身を隠した。と思った瞬間、銃弾が浩二の耳をかすめて飛んだ。次々と弾丸の赤い線が走ったが、誰にも命中しない。
 弾丸の尽きるのを見計らって若者たちはダミオンに躍りかかった。彼は空のピストルを投げつけ、帽子を飛ばして逃走したが、逃げきれないと知ると、立ちはだかって、大声を張りあげた。
「殺せ、殺してもいいんだ」
 喚きながらも両手は拳にしてかまえ、両足に力を入れて、足蹴りの構えをした。大男の固めた拳には、まだ闘志が残っているようだった。
 浩二はこの男と果し合いをしてもいいと思った。この数ヵ月、土地問題にからむ彼らとの泥試合、また戦争による政府官憲の日本人への圧迫、日本語会話の禁止、カメラ、銃砲の使用禁止、集団活動禁止などなど。日本から来て、いざ世に羽ばたこうとする若者たちには、屈辱に堪える鬱陶しい毎日であった。この鬱憤を晴らす相手として、二メートルを超すこの男は申し分がない。

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