日本では「笑い者」、世界は「驚愕」! 全裸で1年以上 “公開軟禁”で有名になった男の現在地

番組企画が四半世紀を経て国境を越えドキュメンタリー「The Contestant」として世界へ(Courtesy of TIFF)

全裸で懸賞に応募している姿をさらして有名になった男――。

25年前、人気バラエティ番組『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)内の企画「電波少年的懸賞生活」で一世を風靡したなすびさん。だが、第三者から見れば、いきなりキャリアハイを達成し、その後の人生は凸凹の下り基調が続いているかに見えた。 そんな中、2023年9月、薄れつつあったあの残像が再び鮮明になった。

トロント国際映画祭で、「懸賞生活」が題材となったドキュメンタリー「The Contestant」が、ワールドプレミアム上映されたのだ。さらに、11月には米・ニューヨークのドキュメンタリー映画の祭典『DOC NYC』(8日~26日)でオープニング上映も決定。いまではまず放送不可能なアノ伝説企画は世界の目にどう映るのか…。現在、舞台等で活躍し、故郷・福島の復興支援にも全力を注ぐなすびさんを直撃し、当時~いまの想いの変遷をじっくりうかがった(インタビュー・全2回前編 )。

「今日は服を着ているんですね。裸じゃないなすびさんをはじめてみました」

いまでもこんな声をかけられることがあるという。もちろん、声をかけた当人はむしろ好意的のつもりなのかもしれない。とはいえ、放送が終了したのは1999年4月、もう25年も前のことだ。

なすびさんが一世を風靡した、件の「電波少年的懸賞生活」は日本テレビの人気番組「進ぬ!電波少年」内で、”ピン芸人なすび”が「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに、懸賞で獲得した賞金(商品)額が100万円に達するまで”軟禁状態”が続く企画として放映された。

画面越しには”ピン芸人”らしく笑いを取っているように見えたが…(Courtesy of TIFF)

このとき、なすびさんが全裸だったことから、視聴者に『なすび=全裸』のイメージが定着してしまう。名前の「なすび」のように長い顔で生まれたまんまの姿でひたすらハガキで懸賞に応募するだけ。だが、演出の妙も加わって見る者に強烈なインパクトを残すことになる。クセになるように視聴者をひきつけ、番組は絶大な人気を博す。

「本当に右も左もわからない駆け出しのころ、芸能界を目指していて、運よくくじに当たり選ばれたんです。ただ、僕はなにも知らされず、全裸で部屋に閉じ込められていただけ。そもそも放送されていることさえ知らず、全てがガチンコでヤラセは一切ありませんでした」となすびさんは当時を述懐する。

懸賞生活後に残った「あのイメージ」払しょくのためもがき続けた

1年3か月に及んだ軟禁生活を終え、晴れて”社会復帰”を果たしたなすびさん。その時、自分が日本中から応援される存在になっていることを知る。「本当に素人に毛が生えた程度の知識と技術しかない僕がそんな評価を受けられたのは番組のプロデュース的なプラスアルファの要素のおかげであり、まさにプロの腕。でも、番組を終えて僕に残ったのは、懸賞生活のあのイメージだけだったんです」となすびさんは少し自嘲気味に振り返る。

芸能人を目指すプロセスで、いきなり大チャンスをものにはした。ただ、同時に大きすぎるインパクトはその後の活動を苦難にし、払拭するにはあまりにも重い「十字架」になった。その意味では懸賞生活後の20年は、「笑われていた自分が人を笑わせる自分になる。そうなるための確かな実績を積み上げる」もがき、あがき続ける道程だった。

演技力をつけるため、自分で劇団を主宰し、活動の中心を舞台へ。エベレスト登頂にもチャレンジした。故郷の福島が被災すると、自発的に復興に身を捧げた。目の前のことをやり過ごさず、前に向かって遮二無二動き回った。まさに全身全霊をかけ、やれることをひとつひとつ、一切手を抜かず、やり切り、やり抜き続けた。

国際映画祭があの番組に注目した意外なポイント

それでも冒頭のような声掛けがいまだある中で、2023年9月、「懸賞生活」が思わぬ形で注目を浴びる。トロント国際映画祭で、なすびさんの激動の半生が描かれたドキュメンタリーが、「The Contestant」として、ワールドプレミアム上映されたのだ。

奮闘する過程で磨き上げあげた演技力が認められたわけではない。全裸で軟禁され、その姿をテレビで全国民にさらされる――海外では、「懸賞生活」のあの様子はバラエティでなく、犯罪に近い人権無視の仕打ちで、「過剰共有の極端なケーススタディ」と捉えられた。そこに興味を抱いた監督のクレア・ティトリー氏が、熱心にオファーを続け、その”真実”をドキュメンタリーとして深く掘り下げる作品に仕上げた。

当時を振り返り考えながら丁寧に言葉を紡ぎ、想いを語ったなすびさん(10月都内/撮影:天倉悠喜)

「日本だと視聴者はある程度の予備知識がある。テロップや効果音、ナレーションもあったのでなんの疑いもなく、バラエティ番組として見た。でも、海外の人は日本語がわからない。それであの映像だけを見たら、人を裸にして監禁して長時間閉じ込める”異常”にしか見えない。だから僕が『なぜ断らず、あんな仕打ちを受け続けたのか』とか『なぜテレビ局を訴えないんだ』ということが不思議でならなかったようです」となすびさんは、日本とは真逆の海外での反応を明かした。

淡々と語るなすびさんだが、その当時の胸中は、自殺を考えるほど落ち込み、神経をすり減らし、極限まで追い込まれていたという。だからこそ、海外から複数のオファーが寄せられる中で、葛藤しながらも内容を慎重に検討。その上で、現在のなすびさんの活動までをしっかりと踏み込んで映像化したいという「The Contestant」への出演を承諾することにした。

作品には、なすびさんの他、ご家族、Tプロデューサー(土屋敏男さん)らもインタビューで出演。「懸賞生活」では知る由もなかった”真実”を海外の目線、そしてなすびさんやその関係者らの証言等で生々しくあぶりだしている。

ようやく見えつつある”輝ける場所”

あの企画で日本国民から「笑い者」にされ、四半世紀を経たいま、世界が「懸賞生活」のなすびに奇異な目を向けている。そんな中で、なすびさん自身はようやく”居場所”を見つけつつある。

ドキュメンタリーのプレミアム上映と入れ替わるタイミングの10月の10日間、東京・赤坂で舞台に立ったなすびさん。福島とゆかりのある「フラガール」で重要な役どころを演じ、冒頭から登場し続けて躍動。硬軟織り交ぜた味のあるパフォーマンスで観客を魅了した。

福島を舞台にした「フラガール」で躍動したなすびさん(東京・赤坂レッドシアター:写真提供 NF.L)

「僕の原点はやっぱり人を笑わせたいという想い。懸賞生活の時はもしかしたらただ笑われていただけかもしれません。一方でお芝居では意識して人を笑わせたり感動させたりできる。舞台はそれを間近で体感できる場所。昔は笑われることに後ろめたさもありました。でも、いまは思うんです。プロセスは別としても結果的に人が笑っていることはおんなじだって。そこにプライドを持たなくていいのかなって」

25年たっても老けこまず、見た目がほとんど変わらないなすびさん。当時を知る人なら思わず、長い顔を見るとあの頃にタイムスリップしそうになる。だが、その内面は経過した時間以上に十分に成熟し、一言一言に説得力がある。一人のパフォーマーとして強烈な存在感を放つまでになっている。

笑われて有名になった全裸男はもはや過去。強烈すぎるあの残像が消えることはないとしても、生で、リアルで演じる姿を目にすれば、「なすび」という演者に無心で没入させられることになるハズだ。

【なすび】
俳優・タレント。日本テレビバラエティー番組「電波少年的懸賞生活」にて日本・韓国を舞台に、1998~1999年の1年3か月間を懸賞のみで生活しブレイク。その後、元々志していた喜劇俳優を目指し俳優としての活動を本格化。2002年に劇団「なす我儘」を立上げ座長を務める中、東日本大震災が発生。以降、エベレスト登頂を4度目の挑戦で実現するなど、被災した故郷福島の復興再生を祈願し、全力で支援活動を続ける。2023年9月トロント国際映画祭、11月にはニューヨーク・ドキュメンタリー映画祭にて、なすびの半生を追ったドキュメンタリー作品「THE Contestant」が公開予定。福島関連では、福島環境・未来アンバサダー、あったかふくしま観光交流大使など7つのアンバサダーを兼務する。なすびX @hamatsutomoaki

© 弁護士JP株式会社