いつか真珠に

 貝の中に砂や寄生虫といった「異物」が入ったとする。刺激された貝は身を守ろうとして、膜で異物を包み込む。それを核として、美しい真珠ができるという▲肉に食い込むような異物が痛い。だから、貝は滑らかな膜で異物を覆うのか…と想像を膨らませてみると、なにやら人も同じに思えてくる▲多かれ少なかれ、不運、災難、不安や心配の種という「異物」を人は抱え持つものだろう。ちょっとした救いの手だったり、かけられる優しいひと言だったりと、異物を覆う膜の一つ一つは薄くても、それで痛みが和らぐことがある▲対馬市の観音寺から盗まれ、韓国に持ち込まれた仏像を巡る訴訟の最高裁判決に触れて、真珠が生まれるさまを思い浮かべている。観音寺に所有権があることが最高裁でも認められた▲韓国の寺が、仏像はそもそもわが方のものだとして返すよう求めたが、言い分は通らなかった。「盗み出された」事実が「韓国へと取り戻された」という理屈にすり替わっては、正論の出る幕もない。盗難から11年、対馬の人々の心痛はひとまず、まっとうな判断、道理という膜で包み込まれた▲さらに韓国政府によって仏像が返還されれば、人々の心の平穏という美しい真珠がもたらされるだろう。日韓関係の安定を印象づける、輝く珠(たま)にもなればいい。(徹)

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