母親が若年性アルツハイマーに… 都会でのキャリアを捨て故郷へ 高齢者に生きる喜びを与える“訪問美容師”の男性

およそ50年前に作られた街、三重県・名張市の「ニュータウン」。都会の喧騒から離れた“理想の住まい”として、大阪や名古屋の都市部から多くの人が移り住み、賑わいました。今はニュータウンという名の「古い街」です。そこに紫色の髪がトレードマークの「訪問美容師」がいました。母親や地域の人の笑顔を見られるのがうれしいと話す美容師の男性に密着しました。

「月に一度の楽しみ!」88歳の女性の家を訪ねる訪問美容師

三重県・名張市のニュータウン、山を切り開いたこの街は坂道だらけ。車がない人や高齢者には暮らしやすいとは言えません。

(訪問美容師 岩木寛人さん)
「元気なうちは大丈夫なんですけど(高齢や病気で)体力が衰えたりすると難がある気がします。だから今は家ができるのは下の辺が多い」

名張市で生まれ育った岩木寛人さん(33)の仕事は「訪問美容師」です。ワケあって紫色に染めた髪がトレードマークです。高齢や病気で、外出が困難な人の自宅へ行って、散髪やシャンプーなどを行います。

常連の大賀敬子さん(88)は、パーキンソン病で外出が困難になりました。

(大賀敬子さん)
「最初は(訪問美容師に来てもらうことが)不安やったけど、きれいにカットしてくれはって」

いまでは月に1回、岩木さんの訪問が何よりの楽しみです。

(訪問美容師 岩木寛人さん)
「お母さん、これぐらいの髪の長さどうでしょう?」

(大賀敬子さん)
「かわいらしい頭!頭が軽くなった」

喜ぶ大賀さんの姿を見て、岩木さんもうれしそうに笑みを浮かべます。帰りがけ、いつも岩木さんの母親にと、お土産を渡してくれる大賀さん。次の訪問を心待ちにしているそうです。

「母親と最後まで一緒に」キャリアを捨てて介護をすると覚悟

都会に憧れ、高校を卒業後、東京や大阪で美容師をしていた岩木さんがニュータウンに戻ってきたのには理由がありました。母親の朝子さん(60)が若年性アルツハイマーを患い、歩くことも難しくなってしまったのです。

病気になった後に離婚し、祖父母と3人で暮らしていた朝子さん。介護できる人がいない中、病気が進行していくのを見て、岩木さんは都会でのキャリアを捨ててニュータウンへ帰ってきました。介護士の免許も収得して母親の面倒を見ています。

(訪問美容師 岩木寛人さん)
「もともとね、バスガイドしてたんですよ」

病気になる前はバスガイドやスーパーのレジ打ちの仕事をして、社交的だった朝子さん。人生が一変したのは2016年5月29日。岩木さんにとって、いまも忘れられない日付です。朝子さんが、新しい会社に転職する際、履歴書を用意するため証明写真を撮影してきたときのことでした。

(訪問美容師 岩木寛人さん)
「履歴書の名前を書けなかったりとか、文字を書けなくなっているので、白黒つけようって病院に行ったら、脳が委縮してるって診断を受けて」

診断は“若年性アルツハイマー”。7年が経ち、症状は介護施設に入居が検討される「要介護4」まで進行しました。いまでは息子の寛人さんの名前も思い出せません。それでも、好きな音楽を聴くとよろこぶのだと岩木さんはいいます。

(訪問美容師 岩木寛人さん)
「お風呂に入れなくなったら施設に入れようとか、そう言っている時期もあったんですよ。でも、そこにたどり着いたら、まだもうちょっといけるってなって。そういうのを繰り返していたら、いつの間にか介護資格をとっていて。最後の最後まで家で母ちゃんと一緒にいようって気持ちにはなっています」

トレードマークの紫髪は「母親にわかってもらうため」

朝子さんの介護のために街に戻り、訪問美容師や訪問介護を始める事になった岩木さん。いまはその道を、母・朝子さんが与えてくれたと思っています。

(訪問美容師 岩木寛人さん)
「不透明だったんですよ、何がしたいか。大阪でも東京でも何も成しえないまま名張に帰ってきて、母と暮らしていて笑顔を見ると、これで良かったな幸せだなって直感で感じます。人と何かをすることが、自分の一番望んでいることなんだと気付けた」

髪を紫色に染めるようになったのは1年前、母・朝子さんが岩木さんの名前を思い出せなくなってからの事です。

(訪問美容師 岩木寛人さん)
「母親が紫色が好きなんですよ。僕ってわかるじゃないですか。一つ個性的なところがあれば」

髪を紫色に染めてから、朝子さんは岩木さんを見ると喜んでくれるようになったそうです。

紫色がトレードマークの、ちょっと強面な美容師。これからも古くなったニュータウンで、母親と地域の人々に寄り添います。

CBCテレビ「チャント!」10月17日放送より

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