フランク・ハワードが87歳で死去 通算382本塁打を放った長距離砲

日本時間10月31日、ナショナルズは1960年代半ばから1970年代初頭にかけてワシントン・セネタース(現レンジャーズ)の主砲として活躍し、本塁打王2度、打点王1度、オールスター・ゲーム選出4度の実績を残したフランク・ハワードが87歳で死去したことを発表した。ハワードは身長201センチ、体重115キロという巨体を誇り、「キャピタル・パニッシャー」や「ワシントン・モニュメント」というニックネームで親しまれた。1974年には太平洋クラブライオンズ(現埼玉西武)に加入したが、故障のため1試合しかプレーできなかった。

ハワードは1958年3月にドジャースと契約し、同年9月にメジャーデビュー。1960年に打率.268、23本塁打、77打点、OPS.784を記録し、ナ・リーグの新人王に選ばれた。1963年にはワールドシリーズ制覇も経験し、1964年12月の大型トレードでセネタースへ移籍。自己最多の44本塁打を放って本塁打王に輝いた1968年から4年連続でオールスター・ゲームに選出され、1970年には自己最多タイの44本塁打、自己最多の126打点で二冠を獲得した。その後、1972年途中に金銭トレードでタイガースへ移籍。1973年シーズン終了後に解雇され、1974年に太平洋で1試合だけプレーしてユニフォームを脱いだ。

16年のメジャー生活で通算1895試合に出場し、1774安打、打率.273、382本塁打、1119打点、OPS.851を記録。引退後は多くのチームでコーチを歴任し、1981年はパドレス、1983年にはメッツで監督を務めた。なお、1968年5月には20打数で10本塁打を量産したことがあり、MLB公式サイトによると、これは1週間の最多本塁打記録として現在も残っているという。

ナショナルズのマーク・D・ラーナー・オーナーは「ワシントンで野球ファンとして育った私にとって、フランク・ハワードはヒーローでした」との声明を発表。「RFKスタジアムでの豪快なホームランで『キャピタル・パニッシャー』というニックネームを持っていましたが、彼はとても親切な紳士でした。ラーナー家はフランクの家族に思いを馳せ、追悼の意を表します。野球界は真の巨人を失いました』と述べた。

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