「牛のしっぽになるな、鶏のとさかになれ」。阪神タイガースの才木浩人投手(24)=神戸市出身=に母久子さんはそう諭し育てた。大きな塊の後ろに付くのではなく、自分が集団を引っ張れ-。「小さい頃から甘やかしませんでした」と久子さん。負けず嫌いで、弱音は吐かない。けがを乗り越え、今季自己最多8勝を挙げ、リーグ制覇に貢献した右腕。マウンドでの強気は、母の教えを映すかのようだ。1勝2敗で迎える11月1日の日本シリーズ第4戦の先発マウンド。強気をまとった右腕が、逆襲を狙うトラの先頭に立つ。(初鹿野俊)
久子さんは旧神戸市立赤塚山高(現六甲アイランド高)で始めたハンドボールで、大阪体育大時代は全国大会2位になったスポーツウーマン。国体にも2度出場した。「体育会系なんで…」と笑う母の快活さと、3学年上の兄智史さん(28)への対抗心も相まって、才木少年は負けん気を強めた。
捕手だった小学生の頃、指導者から期待をかけられ、円形脱毛症になるほどストレスを抱えた。理髪店で気付いた久子さんが、さすがに心配し、「やめてもいいよ」と助け舟を出したが、やり通した。
神戸市立王塚台中時代に投手に転向。卒業後は兄と同じ須磨翔風高へ進んだ。甲子園出場経験のある強豪を選ばなかったのは「自分の力で上のチームを食って甲子園に」との母の思いも影響したという。
高校では、中学で実績のあった同級生が早々にメンバー入り。後れを取ったが、地道に力を付け、1年秋から登板機会を得ると、2年春から1番を背負った。プロの関心を集める存在となっても、変わらずストイックに野球と向き合った。プロ志望を固めた際、進学を勧める父昭義さん(62)と激論になったが、「目の前のチャンスに挑戦したい」と譲らなかった。
ドラフト会議当日。学校で中継を見ながら、緊張と不安で汗だくになる次男の横で久子さんも待った。「まだまだ無理ちゃう?」。気長に構えていたが、阪神からの3位指名に、親子でチームメートと大喜びした。才木は泣いた。帰宅後、居間で固い握手を交わした父子の姿を母は鮮明に覚えている。
プロ3年目の2019年には右肘を故障し、20年秋に手術。弱音を聞くことはなかった久子さんだが、随分後になって「(手術前は)朝起きたら治ってないかなと思って寝て、朝にドアノブを握ると痛みが出て、がくぜんとした」と本人が他人に話すのを耳にした。初の大けがにも、ひたむきに立ち向かっていたと知った。
そんな才木から一度だけ弱気を感じ取ったことがあった。手術後、1軍戦に出場できない育成契約になったと報告があった。そのメッセージから、投げやりな印象を受けた。母は「野球できひんの? クビちゃうんやろ。巻き返したらいい」といつもの調子でハッパをかけ、背を押した。
22年5月に1軍再登録され、3季ぶりの復帰星。才木はヒーローインタビューで号泣した。「こちらが思う以上に大変だったんだろう」と母はスタンドから静かに見つめた。
7年目の今季、強力投手陣の中でも存在感を放った。150キロ台半ばの速球で攻め、交流戦ではロッテの怪腕佐々木朗希投手に投げ勝ち、リーグ優勝が懸かった巨人戦でも先発し、勝利投手になった。
「いいところで投げさせてもらって。持ってるな」。野球人生で初の優勝経験に久子さんも興奮を隠せない。だが、もう一段高みも求めたい。「世界が広がるはず。優勝に執着してほしい」。日本一に立つことがさらなる成長を引き出すと信じているからだ。
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プロ野球のペナントレースを制した阪神タイガースとオリックス・バファローズの優勝パレードに向け、兵庫県や大阪府、関西経済連合会などでつくる実行委員会は、開催事業費を募るクラウドファンディング(CF)を行っています。11月30日午後11時まで、専門サイト「READYFOR(レディーフォー)」で受け付けます。