麻木久仁子、還暦を過ぎての学問は「自分に対するご褒美」!

文部科学省・総務省所管の通信制大学である放送大学(本部:千葉県千葉市、学長:岩永雅也)が2023年4月に創立40周年を迎えた。同年10月31日には、東京・千代田区の一橋講堂にて「放送大学創立40周年記念式典・記念シンポジウム」を開催した。

「放送大学創立40周年記念式典」ではまず岩永雅也学長が挨拶を行い、続いて来賓の青山周平文部科学副大臣、渡辺孝一総務副大臣から祝辞が述べられた。高橋道和理事長(「高」は正式には「はしごだが」)から放送大学の40年の歩みなどが紹介され、放送大学40周年記念映像「見えない友と共にまなぶ」が放映された。

「記念シンポジウム」は「チャレンジ!放送大学‐ひとりひとりに最適な学びをめざして‐」をテーマに開催。放送大学在学生でタレント・国際薬膳師の麻木久仁子、石井潔氏(元静岡大学長、放送大学静岡学習センター所長)、倉橋節也氏(筑波大学ビジネスサイエンス系教授、放送大学卒業生)、篠原朋子氏(前学校法人NHK学園理事長)がパネリストとして参加し、当日の様子はYouTubeにてライブ配信された。

「記念シンポジウム」では麻木、石井氏、倉橋氏、篠原氏が個別発表を行った。

麻木は「私がいつもこういった場所で話をするときは歩きながら話すのですが、今日はおとなしく座ってしゃべります」と笑いを誘ったあと、芸能界でバリバリ働きながら病気ひとつしなかったにもかかわらず、50代を前にして脳梗塞と乳がんという二つの大病を患った経験を語った。

病気がキッカケで「ここできちんと50歳の折り返し地点から先の人生をちゃんと考えなきゃな」と思った麻木は“食”にまつわることに興味を持ち、東洋医学に基づいた国際薬膳師の資格を取ったことを説明。“食”に関する情報発信をするため還暦を迎えるタイミングでさらにしっかりと学びたいと思ったとき、放送大学は好きな科目だけを選択して受講できることを知り、今年4月に入学したことを紹介した。

麻木は前期の科目をすべて最高評価の“マルA”で履修し話題となっているが、前期の受講を振り返り「『今から私はこの先生に自分の知らないことを教えて頂くんだ』と謙虚な気持ちになったときにものすごく新鮮だったのです。“こうべを垂れて学ばせて頂く”という気持ちになることがこんなに人を若々しくさせるものかと感じました。『この歳になってからの“学び”は若いときとはぜんぜん違うのだな。メンタルの部分でも新鮮な影響があるのだな』と思いました」と放送大学に入学したことにより訪れた体験を述懐。

さらに、子育ても仕事もひと段落ついたという麻木は「心の豊かさや人生の豊かさを得るために、1週間のうち自分の時間の“ここ”と“ここ”を必ず(授業のために)使うことができることは贅沢といいますか、自分に対するご褒美という感覚でした」とも言葉に。麻木は講義を「18歳の気持ちになって居住まいを正して受講しています」といい、「人間は学ぶ限り変われるのだと思いました」と目を輝かせた。11月12日に61歳の誕生日を迎えることについて麻木は「放送大学での学びを継続しつつ、学んだことをアウトプットしていきたい。食や健康の科目で学んだ事をレシピにしていきたいと考えています」と話した。

また、若いころ大学に入学したときは「学ぶことの楽しさみたいなものをぜんぜん感じませんでした」というものの、「若いころの大学生活が無駄だったのかというとそうでもないと思います。どんな形であっても学問の府みたいなところに身を置いた中で、“大学で学ぶことの意味”みたいなものが私の中に残っていました」と振り返った。

進行役を務めた岩永学長は「麻木さんのお話でこのシンポジウムの結論がすべて出たような気がします」、「放送大学で学ぶことの神髄みたいなことをすでに分かってらっしゃるように感じます」と声を弾ませていた。

放送大学は1983年(昭和58年)4月に設置された。1985年(昭和60年)4月に放送による授業を開始。1989年(平成元年)4月には第1回卒業式を挙行した。2006年(平成18年)には地上デジタル放送による授業がスタート(関東エリア)。現在はBS放送、ラジオ、ネットなど多様な方法を通して学びの機会を提供しており、4月と10月の年2回、出願書類による選考で入学可能。これまでに180万人を超える学習者を受け入れており、大学卒業(学位取得)を目指す「全科履修生」(最大10年間まで在学可能)、好きな科目だけ学べる「選科履修生」、「科目履修生」がある。

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