どこまでも届く

 あの日、防空壕(ごう)で見た負傷者の群れは〈体も顔も剥(は)げてお化けになっていました〉-と、築城昭平さんの被爆証言をつづった書に、神奈川で働くインド人の青年が見入っていた▲友人2人と旅行中、けさ広島を出発して、新幹線を乗り継いで着きました、とパーフェクトな日本語で教えてくれたが、流麗な筆文字はハードルが高そう。だが、そんな心配をよそに「原爆の直後にシェルターに逃げ込んで…ヤケドは分かりますか」と説明を聞くうち彼は静かに黙り込んで▲「カリグラフィー」という英訳はあるけれど、書道は基本的に漢字圏固有の芸術だろう。それでも、美とか迫力とか祈りとか、伝わるべきものはちゃんと伝わるのだ、と素朴に感動した▲長崎市の書道講師、森田孝子さんが原爆死没者追悼平和祈念館(平野町)で開いている平和がテーマの書道展、設営が済んだばかりの木曜日▲埼玉から2泊3日の一人旅の女性は「強い言葉は強い文字、優しい言葉は優しい文字ね」。被爆者の母親を一昨年、91歳で亡くした兵庫・横浜の3姉弟は森田さんが原爆死没者名簿の筆耕者だと知って「きっと母の名前も」としんみり▲筆に込めた願いが思わぬ場所の誰かに届く-その瞬間に居合わせた幸運に心を弾ませつつ会場を後にした。作品展は7日の正午まで。(智)

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