故2パック、米カリフォルニア州オークランドに名前を冠した通りが誕生

ヒップホップ界の伝説的存在である故2パック(トゥパック・シャクール)の殺害から27年が経った現地時間2023年11月3日に、米カリフォルニア州オークランドにある通りに彼の名前を冠する一角が誕生した。

彼の家族やオークランド出身のMCハマーも参加したセレモニーの後、1990年代に2パックが住んでいた近くのマッカーサー・ブールバードの一部が“トゥパック・シャクール・ウェイ”となった。

2パックの異父妹セチュワ・“セット”・シャクールは、約2時間のセレモニーの終わりに涙を拭いながら、「彼の魂がこのストリートで、そしてあなた方の心の中で残りの年月を生き続けますように」と観衆に語りかけた。トゥパック・シャクール・ウェイの標識は、その直後に除幕された。

「U Can't Touch This」で知られるラッパーのMCハマーは、1996年に25歳で射殺されるまでの最後の数か月を共に過ごした2パックについて、「間違いなく、史上最高のラッパーだ、疑問の余地はない」と述べた。2パックのコラボレーターであるマネー・Bとオークランドのヒップホップ界のレジェンド、トゥー・ショートもセレモニーでスピーチを行った。

2パックは米ニューヨークで生まれ、同地とボルチモアで育ったが、1980年代後半に母親とサンフランシスコのベイエリアに移り住んだ。1990年代初頭にはオークランドに住み、第二の故郷にした。

この通りの改名を主導したキャロル・ファイフ市議会議員は、「彼はオークランドを獲得したのです。オークランドに自身の技量を与えられたと彼は言いました」と述べた。

この式典は、南カリフォルニアのストリート・ギャングの元リーダーが、米ラスベガスで起きた2パック射殺事件の殺人罪について無罪を主張した翌日に行なわれた。ドゥエイン・キース・“Keffe D”・デイヴィスは、銃撃を画策した罪に問われている。彼は、2パックの命を奪った銃弾が発射された車に乗っていた唯一の生存者で、殺害から27年後の今年9月にこの事件で罪に問われた唯一の人物となった。

2パックの親族は起訴から距離を置いており、3日にそれについて少し言及しただけだった。セチュワ・シャクールは、兄が「ギャングの暴力によって、他の黒人の手によって、他の黒人の計画によって、25歳で死にました」と語った。

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