歌手・HIPPYがつなぐ被爆体験 証言会を続けるワケとは…

「立ち上がろうとする君に捧ぐ 君への応援歌 全力注ぐ」

プロ野球選手の登場曲の定番でもある『君に捧げる応援歌』など、数々の楽曲を手掛けるシンガーソングライターのHIPPYさん。

広島市出身で被爆3世でもある彼のライフワークが、「原爆被爆者の証言活動の運営」であることは、広島県外ではあまり知られていないかもしれません。

6年前から運営している「証言の会」。毎月6日に、広島市の「バー スワロウテイル」で被爆者に当時の体験を語ってもらっています。その回数は200回を超えました。

■「証言の会」 きっかけは…

新型コロナの影響で約3年間はオンライン開催となりましたが、今年6月から対面での実施を再開しました。

「証言の会」は2006年に開始。

発起人は、バーのオーナーで被爆3世の故・冨恵洋次郎さんです。

冨恵さんは2014年のインタビューで「今から生まれてくる人たちが被爆体験を聞けない時代が確実に来る。代弁してあげられるくらいのことは、広島に生きてきた人間としてできるようになりたい」と語っていました。

しかし2017年、冨恵さんは肺がんのため帰らぬ人となりました。

冨恵さんが亡くなる4日前、病室で“証言の会を引き継いでほしい”と言われたというHIPPYさん。その思いを引き継ぎ、「証言の会」を続けてきました。

■HIPPYさんが抱く切迫感

先月6日、HIPPYさんの姿はもう一つの被爆地・長崎にありました。

HIPPYさん「平和公園には何度か来たことがあるけど、久しぶりに来た。空がすごく広く感じられる場所」

この日は、夕方まで長崎の高校でライブ、翌日には福岡でのイベントも控えていましたが、「証言の会」を毎月継続するため長崎での実施を決めました。

歌手活動で忙しい中でも、毎月「証言の会」を開催する理由を尋ねてみると。

HIPPYさん「来月・再来月はできなくなるかもしれないということをすごく感じているので、できる時は絶対やろうと思って。今回長崎で開催させてもらうのも、場所も広げてやらないと(証言してくれる被爆者が)見つからない状態になっている、という理由もある」

HIPPYさんが抱く切迫感。

そのワケは、被爆者・岡田恵美子さんが急死したことにありました。

HIPPYさんは岡田さんの証言をもとに歌をつくり、ミュージックビデオでも共演するなど、深い親交がありましたが、岡田さんはおととし84歳で亡くなりました。

HIPPYさん「去年お話をしてくださった中でも12人のうち、お二人は(亡くなって)会えない存在になっている」

■広島県外で初めて対面で行う「証言の会」

長崎では初開催、通算213回目となった「証言の会」。会場には30人を超える人が集まりました。

参加者(30代)「被爆者の方のお話は、平和の日(8月9日)に少し聞くくらいしかなかった。せっかく長崎に住んでいるので、この機会に聞いてみようかなと思った」

今回体験を語ったのは、長崎市で3歳の時被爆した田中安次郎さん(81)です。当時の記憶はほとんどありませんが、原爆の音や爆風、臭いは強烈な感覚として覚えているそうです。

田中さん「防空壕は臭いが…死臭で。やっぱり思い出す。涙が出てくる」

田中さんの講話は常に穏やかな口調で語られ、写真やポスターを使って若い世代にも分かりやすいよう工夫されています。

田中さん「なんでもない変化のない当たり前の、平凡な日々の連続、これこそ平和じゃなかろうか。こんな世の中をいつまでも続けていってもらいたい。それを誰がするか、それは、皆さん方の肩にかかっている」

■HIPPYが取り組みを続ける理由…

歌手であるHIPPYさんの「証言の会」の多くは、歌で締めくくられます。

HIPPYさん「(曲が)広がれば広がるほど、被爆伝承にも気づいてもらえる瞬間があると思う。平和のために歌うというよりも、自分が日々一生懸命歌うことが平和につながればいいなと。僕の曲や活動を知って、“あの人被爆伝承しているんだ、ちょっと見てみようかな”とか“気になるな”という種をまけたらなと思っています」

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