山の上で本格餃子、神戸の「月見茶屋」が100年の歴史に幕

神戸の「高取山」で100年続いた茶屋「月見茶屋」が10月30日に閉店した。閉店の知らせを聞き、いてもたってもいられず山を登ったときの話をしようと思う(取材・文・写真/スズキナオ)。

右手が月見茶屋の建物。左手のテラス席ではよく猫たちの姿を見た

■ かつては数十軒もの山茶屋があった「高取山」

神戸市の長田区と須磨区の区域にまたがるようにして「高取山」はある。標高328メートルの低山で、山頂には「高取神社」があり、古くから信仰の対象となってきた。

参道は舗装されていて初心者にも登りやすく、道沿いに数軒の山茶屋が点在している。多くの人が参拝に訪れるルートだけに、かつては数十軒もの山茶屋があったと聞くが、(初詣のシーズンなどに期間限定で営業する茶屋を除いて)現在は4軒が残るのみとなっている。

山の茶屋で缶ビールや缶チューハイを飲むのが好きな私は、これまでに何度も、主にお酒を目当てに高取山に登り、あちこちの茶屋でぼーっと時を過ごしていた。

そのなかに「月見茶屋」という店があって、私はその茶屋がとても好きだった。

「月見茶屋」の外観

■ 山の上で食べる絶品の焼き餃子

建物の外、「月見茶屋」と店名が書かれているところに「大正12年創業」とあるように、100年の歴史を持つ古い茶屋で、当然ながら建物も年季が入っており、その空間に居られるだけで感謝したくなるような気持ちになる。

缶ビールを飲んで一休みさせてもらえるだけでも十分幸せなのだが、その茶屋の名物はなんと「焼き餃子」なのである。店主・川本眞智⼦さんの旦那さまがもともと中華料理店で働いていた方で、そこで腕を磨きながら作り上げたレシピで餃子を仕込む。その餃子を山上まで運んだものを、川本さんが鉄板で焼き上げる。と、そうやって提供されてきた焼き餃子なのだ。

月見茶屋の名物である「餃子」。6個で360円だった

言うなれば、「山の上で食べられるベテラン中華職人仕込みの餃子」ということになろうか。登山経験は数えるほどしかない私(しかもハイキング感覚で行ける山ばかり)だが、経験上、山の上で飲んだり食べたりするものは格別においしい。

登ってきた疲労感や達成感ゆえなのだろうか、市販のカップラーメンを食べるだけでも信じられないほどにおいしく感じられたものだ。そこに来て最初から絶品の「月見茶屋」の餃子なわけだから、もうその旨さは言葉では言い表せないほどなのである。私は今も本気で「自分にとって最高の餃子はあれだった」と思っているのだ。

■ 10月いっぱいで引退されるという知らせ

初めてその味を知って以来、天気のいい日に高取山に登っては、おいしい餃子をいただいてきたのだが、ある日、その「月見茶屋」の店主・川本さんが2023年10月いっぱいで引退されるという知らせが事情通の友人から伝わってきた。

川本さんがご高齢なのもあり、以前からお店に顔出すと「いつまでやれるか」というようなことをおっしゃっていたので、そんな日が来るのも当然かと思いつつ、いざ最後となると気持ちが落ち着かず、その前にどうしてもあの空間をこの目に収めたいと思うのだった。

長田神社への目印となる鳥居を眺めつつスタート

と言いつつ、私が「月見茶屋」へ行くことができたのは10月下旬で、最終営業日も間近であった。よく晴れた平日の朝、神戸市営地下鉄の長田駅から歩き出した。長田神社へと続く大きな真っ赤な鳥居を眺め、境内の脇を通って北西方向に進んでいくと高取山の登山道の入り口が見えてくる。

山道に入ると一気に勾配がきつくなるが、足元は舗装されているので登りやすい

なんとかがんばって「月見茶屋」の前までやってきた。ドアが少し開いていて、営業はしているようだった。よかった。

ドアには閉店を告げる張り紙があった

中に入ると、店主の川本さんが申し訳なさそうに、「今日は飲みものしか売るものがなくてね」とおっしゃる。聞けば、旦那さんが体調を悪くされ、餃子の仕込みができなかったのだという。もちろん仕方ない。缶ビールをいただくのは問題ないそうだったので飲ませてもらうことにした。

上まで登ってきて飲む缶ビールが美味しいのだ

川本さんが「前に何人かで来たね?」と話しかけてくれた。私が前回来たのは数カ月前だったのだが、そのとき、友人2人と一緒にここに来て餃子をいただいた。餃子を焼いている間、ふと、川本さんが趣味にされている俳句の話になり、私たち3人も一句詠んでみるように言われたのであった。

その時に友人たちと詠んだ俳句

川本さんはできあがった俳句を「ああ、うんうん」と見てくださり、店の壁に作られた本棚のなかから1冊の本を持ってきてくれた。それは『五位の池』という、30年ほど前に作られた句集で、俳人の五十嵐播水さんに師事する俳句会のメンバーで句を寄せ合って作った1冊だという。川本さんもそこに参加していて、本には自作の句がいくつも収録されている。

見せていただいた句集

「野いばらの とげにヤッケの 袖とられ」

「山小屋の 主の語り 星月夜」

「夕涼や 静けさ戻る 山の茶屋」

など、大の山好きだという川本さんらしい素敵な句が並んでいた。 句集を眺めながら俳句の楽しみについてしばらく語っていた川本さんは、ふいに私たちの注文した餃子のことを思い出されたようだった。「ああー焦げた。焼き直すよ」とおっしゃるので、「いやいや、全然、むしろこれが食べたいです!」とお願いしてそのままいただいた。

その時に食べた餃子。見た目には焦げた感じがあるが感動的な美味しさだった

いつもこの鍋で餃子を焼いてくれるのだった

そのときの光沢を帯びた餃子の、外がパリパリして中が熱くモチモチとしたあの美味しさを思い出しながら、私は茶屋のなかのあちこちを眺めて過ごした。

■ 前の店主から引き継いで29年「とにかく大変だった」

今日はもう飲み物しかないというので(飲み物はお客さんが冷蔵ケースから取ってきて、空き缶も自分で捨てるルール)、その分、川本さんのお話しをゆっくり聞くことができた。お客さんが私だけになった時間もあって、なんとも贅沢だった。

奥の厨房の川本さんが餃子を焼いてくれていた

川本さんがこの「月見茶屋」を前の店主から受け継いで、今年で29年になるという。千葉県に生まれ、東京で育ったという川本さんは若い頃から山登りが好きで(川本さんを「元祖山ガール」と表現しているニュース記事を見たことがある)、東京の登山会に所属して関東の山々をめぐっていたらしい。

その後、神戸出身の旦那さまと知り合い、ご本人いわく「東京へ戻るはずやったのに」神戸に長く暮らすことになり、もとはご夫婦揃って常連客だったという、この「月見茶屋」を受け継ぐことになった。「やり手がいないゆうて頼まれてな」と、仕方なしに始めたのだったが、当初はとにかく大変だった。

あたたかい日差しが入って来る窓

「引き受けて8年間は水道もなかったからな、水まで2人で運んどってん。トイレの汲み取りまでポンプでしたりね。その頃はどこの茶店も水道がないから天水(雨水)を貯める桶があってね、それをろ過して電気であげてた」。

それから29年が経ったが、数年前まではご主人が店で売る瓶ビールや灯油やプロパンガスを背負って山の上まで登ってきていたという。店の前には「餃子」と並んで「ラーメン」の提灯も吊り下げられているのだが、スープを作るための大きな鍋が背負えなくなるまではラーメンも出していたのだとか。

かつてはラーメンもメニューに並んでいたという。食べてみたかった

「この辺の山はほとんど行き尽くしとるわな」という川本さんにとっては、低山である高取山は「地元の人のレクリエーションの場」だった。「通勤前に朝バーッと(高取山まで)来て帰って、シャワー浴びて食事して出勤してな。そういう場所。昔は遊びがなかったからな」。

川本さんが引退した後の「月見茶屋」については、ここに来る登山会のメンバーが今までとは違う形で活用していくことになるらしい。土日祝日に限って茶屋として営業するようなこともあるかもしれないが、どちらにせよそれは川本さんにとってはあずかり知らぬことだという。

新聞などのメディアにも幾度となく取り上げられてきた

「月見茶屋」の建物について川本さんが「結構立派やで。あの地震でも耐えたもん。釣り天井になってて、梁がいっぱいあんねん。こんだけ広いのに柱一本ないでしょ」と言うのを聞くと、なるほど、年季の入った建物には見えるが、こうして長く残り続けているのだから相当頑丈に作られたのだろうと改めて思う。

急に決まった引退のタイミングについて聞くと、「来年(2024年)の11月23日でちょうど30年になるし、区切りやからそこまではと思ってたけど体力がもてへんかった。主人もしんどそうやし、退け時やなゆうてな。決めるときはちょっと寂しさがあったけどな。表の張り紙書くとき、筆を持った手が震えた。うるっときてな」とおっしゃった。

貴重なお話を聞かせていただき、缶ビール代をお支払いして、閉店の張り紙をもう一度じっくり見て帰ることにした。

「月見茶屋」からもうひと頑張りして登る高取神社からの景色はいつ見てもすごいなと思う

■ 最終営業日、再び「高取山」へ

と、「これが最後の月見茶屋」と一旦は思ったのだったが、最終営業日、どうしてももう一度行っておきたくて再び私は高取山に登った。お店に入ると、長年のご常連さんたちが川本さんを囲んで別れを惜しんでいるようだった。

端の方の席に座らせてもらい、冷蔵ケースをのぞくと、もう缶ビールも売り切れており、かろうじて缶チューハイが残っていた。

最後の一杯だけ飲ませていただくことに

そのような状況なので当然ながら餃子はなく、常連さんのためにストックしてあった分があるばかりの様子だった。それが焼かれる匂いと、遠くからチラッと見た餃子の、ぽってりとふくよかなシルエットだけを記憶に留めて去ることにした。

最後のひとときをこの茶屋の建物のなかで過ごせて、川本さんに「お疲れさまでした」と言えたのがうれしかった。

最終営業日のカレンダー

山を下りながら、「あの餃子、もう食べられないのか・・・」とだんだん悲しくなってきた。しかし、そう言ったって仕方ない。この前、川本さんが別れを惜しむ常連さんに対して「高取山は逃げへん。いつでもあんねん。最後最後ゆうて、死ぬみたいやん(笑)」と笑っていた。「茶店はほかにもあるやん!」とも。

寂しい気持ちで山を下りたが……

「おいしい餃子はほかにもあるやん!」と、川本さんならそう言うだろうと思い直し、私は長田駅方面に山を下りてすぐの場所にある「来来亭 長田山麓店」に向かった。タッチパネルで「こってりラーメン」と「餃子」を注文し、待つことしばし。

「月見茶屋」のとは違うけど美味しそうだ

まずはアツアツの餃子から勢いよく頬張る。「うむ! あの餃子とは違うけど、めちゃくちゃうまい!」「こってりラーメンも最高!」と、私はすっかり満足して、駅までの道を歩いたのだった。

さようなら「月見茶屋」。あの餃子のおいしさを忘れない!

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