急死した宝塚歌劇団員、遺族の訴え全文 「切羽詰まっていた娘を救えなかった」

宝塚大劇場=宝塚市栄町1

 宝塚歌劇団の俳優の女性(25)が9月に急死した問題で、遺族の代理人弁護士が10日の会見で明らかにした遺族の訴え(全文)は次の通り。

娘の笑顔が大好きでした。 その笑顔に私たちは癒やされ、励まされ、幸せをもらってきました。 けれど、その笑顔は日に日に無くなっていき、あの日、変わり果てた姿となり二度と見ることが出来なくなってしまいました。くりくり動く大きな瞳も、柔らかい頬(ほお)も、いとおしい声も、何もかも私たちから奪われてしまいました。 「どんな辛いことがあっても舞台に立っている時は忘れられる」と娘は言っていました。けれど、それを上回る辛さは、忘れられる量をはるかに超えていました。宝塚歌劇団に入ったこと、何より、宙組に配属された事がこの結果を招いたのです。 本当なら、今年の夏に退団する予定でしたが、突然の同期2名の退団の意向を知り、新人公演の長としての責任感から、来春に延期せざるを得なくなりました。それは、娘自身の為ではなく、自分が辞めたら1人になってしまう同期の為、そして下級生の為でした。 あの時「自分のことだけを考えなさい」と強く言って辞めさせるべきでした。なぜそう言ってやらなかったのか、どれだけ後悔してもしきれません。 大劇場公演のお稽古が始まった8月半ば以降、娘の笑顔は日ごとに減って辛く苦しそうな表情に変わっていきました。それは、新人公演の責任者として押し付けられた膨大な仕事量により睡眠時間も取れず、その上、日に日に指導などという言葉は当てはまらない、強烈なパワハラを上級生から受けていたからです。その時の娘の疲れ果てた姿が脳裏から離れません。傍(そば)にいたのにもかかわらず、切羽詰まっていた娘を救えなかったというやりきれない思いに苛(さいな)まれ続けています。 劇団は、娘が何度も何度も真実を訴え、助けを求めたにもかかわらず、それを無視し捏造隠蔽(ねつぞういんぺい)を繰り返しました。 心身ともに疲れ果てた様子の娘に何度も「そんな所へ行かなくていい、もう辞めたらいい」と止めましたが、娘は「そんなことをしたら上級生に何を言われるか、何をされるか分からない、そんなことをしたらもう怖くて劇団には一生行けない」と涙を流しながら必死に訴えてきました。 25歳の若さで、生きる道を閉ざされ、奪われてしまった娘の苦しみ、そして、あの日どんな思いで劇団を後にしたのかと考えると、胸が張り裂けそうです。 私たちは、声を上げる事もできず、ひたすら耐え、堪え、頑張り続けてきた娘に代わって、常軌を逸した長時間労働により、娘を極度の過労状態におきながら、これを見て見ぬふりをしてきた劇団が、その責任を認め謝罪すること、そして指導などという言葉では言い逃れできないパワハラを行った上級生が、その責任を認め謝罪することを求めます。

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