サッカーには昇格降格制度が一般的に存在しており、時には誰もが知っているようなビッグクラブが2部へと落ちてしまうことも…。
今回は『sportsbrief』から「信じられない降格を経験した5つのチーム」をご紹介する。
ウェストハム
2部に降格した年:2003年
一部の人にとっては、これがおそらくプレミアリーグ史上最大の降格だろう。もちろんマンチェスター・シティが2部にいたということもビックリかもしれないが、シャイフ・マンスール以前を知るオールドファンにとっては特に驚きでもないからだ。
当時のウェストハムにはデイヴィッド・ジェームズやパオロ・ディカーニオ、マイケル・キャリック、ジョー・コール、ジャーメイン・デフォー、トレヴァー・シンクレア、フレデリック・カヌーテなど素晴らしい選手たちがいた。
負けるにはあまりにも良すぎるチームだった。ただ開幕から4連敗を喫した彼らは10月から1月までの14試合を未勝利で過ごした上、勝点42を獲得しながら降格というあまりにも不運な結果になった。
ビジャレアル
2部に降格した年:2012年
2011-12シーズンにはチャンピオンズリーグに出場したビジャレアル。ラ・リーガで4位になったことでスペイン屈指のチームになったにもかかわらず、それからわずか1年後に降格したのだ。
マルコス・セナやマッテオ・ムサッキオ、ニウマール、ディエゴ・ロペス、ジュゼッペ・ロッシ、ボルハ・バレロがいたが、サンティ・カソルラやジョアン・カプテビラの離脱は影響が大きかった。
チャンピオンズリーグではバイエルン、ナポリ、マンチェスター・シティを相手に無得点で最下位になり、リーガでも15敗を喫した。とはいえ勝点41で降格というのは不運であった。
シャルケ04
2部に降格した年:2021年
2017-18シーズンにはドイツ・ブンデスリーガで2位になったシャルケ04。次のシーズンのチャンピオンズリーグでもベスト16に進出していたが、それから数年後には30年ぶりに2部への降格を喫した。
その直前にも14位、12位になったので低迷してはいたものの、さすがに2部に降格するとは思われなかった。このシーズンは5人の監督に率いられたが全く流れが変わることなく、3勝しか出来ないままで降格してしまった。
板倉滉を獲得した次のシーズンは昇格に成功したが、結局吉田麻也を迎えて臨んだ次のシーズンはまた降格。再び2部での戦いを余儀なくされている。しかも現在は2部で残留争いに…。
リーベル・プレート
2部に降格した年:2011年
リーベル・プレートが誇る白と赤のたすき掛けユニフォームは、まさに南米サッカー界の歴史である。しかしそんなリーベル・プレートが2部へと降格したのが2011年だった。
アルゼンチンのリーグのルールは独特であり、降格はそのシーズンだけでなく数年間の成績が反映される謎のレギュレーションである。
2008-09シーズンから連続して苦戦を続け、サポーターの混乱と暴動もあってチームは低迷。110年の歴史で初めて降格を喫したのがこの2010-11だった。
モナコ
2部に降格した年:2011年
フランス・リーグアンのなかで異色の存在であるモナコ。国のルールで所得税が免除されているため、選手の報酬が実質2倍近くになるというメリットがあり、スター選手を惹きつけられるという強みを持つ。
にもかかわらず、2010-11シーズンのモナコは降格した。それを予想した者は誰もいなかったし、あまりにも驚きの結果であった。しかも勝点は44を獲得していたにもかかわらず…。
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勝点44を獲得したにもかかわらず、最終節でリヨンに敗れて34シーズンぶりの2部降格。これは多くのファンに衝撃を与えた。