濁流に消えた商店街の地図、がん患いながら残した夫 「この地図はまだ途中かも」

地図を残した亡夫の写真を手に、思い出を語る佳津子さん(和束町釜塚)

 1953(昭和28)年8月に京都府南部を襲った南山城水害は、和束町の和束川沿いの商店街「和束銀座」をのみ込んだ。濁流に消えた町並みを、後世に伝える1枚の地図がある。1人の被災男性が7年前、がんを患いながら、記憶を基に地図を書き残した。亡き夫の思いを妻に尋ねた。

 地図「和束町 河原商店街地図(昭和28年南山城水害前)」の作者は前田照男さん=享年(86)、和束町釜塚。妻の佳津子さん(86)は、地図を書いたきっかけは城南郷土史研究会が発行している機関誌「やましろ」からの依頼を受けたことだった記憶する。

 照男さんは2016年3月1日発行の「やましろ」に、19歳で濁流に流された被災体験や復興していくまちの姿を記した。地図はその文章に添えられた。

 照男さんは和束銀座で営んでいた鮮魚などを扱う食料品店「魚留商店」の次男として生まれた。両親を水害で亡くした後、大学生だった兄の代わりに店を継いだ。毎日、夕食後に汽車に乗って仕入れに出かけ、翌朝、牛や荷車で商品を運びながら和束に戻る生活だったという。

 「大災害の非常時なので、薄利多売に徹して、住民のご苦労に少しでもお役にたてれば、との思いで一杯だった(「やましろ」から)」。消防団や救護隊員へのお礼として配られた菓子や日本酒の需要が高かったと記されている。

 魚留商店は11年1月、創業から108年で店を閉じた。照男さんが80歳のころ、前立腺がんが見つかった。

 「(やましろから)依頼を受けてまちの記録を残しておきたいと強く思ったんだと思う」と佳津子さん。資料のない和束銀座の地図を作ったのは、83歳だった照男さんの記憶が全てだった。佳津子さんは一生懸命に地図を書く、亡き夫の背中を思い浮かべる。

 「分からないところがあると住民に聞きに行き、『昔のことが懐かしくて話し込んできたよ』と帰ってきた」

 佳津子さんは「細かく、あんじょう(うまく)残してくれたことに感謝している」と地図を見つめた。「災害の悲惨さや教訓を伝えているもの。でも、この地図はまだ途中かもしれない。夫の思いを引き継いでくれる人がもっと情報を付け足して詳しくなればうれしい」と願っている。

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