レアル・マドリーの「歴史上最悪の補強選手」ワースト5

世界最高のクラブとして長年その立場を確固たるものにしているレアル・マドリー。

今回は『colgadosporelfutbol』から「レアル・マドリーがこれまで行ってきた中で最悪の補強選手」をご紹介する。

エデン・アザール

残念ながら経済面でもスポーツ面でもレアル・マドリーにとっては災害になってしまった。ボーナスも含めれば1億6000万ユーロに達したという移籍金でチェルシーから彼を獲得した時、まさかこのようになるとは誰も思わなかっただろう。

クリスティアーノ・ロナウドの退団の穴を埋めなければならなかったクラブは、当時世界最高のアタッカーの一人であった彼をうまく獲得したように見えたが、4シーズンで公式戦76試合に出場したのみで、ゴールも9つしか奪えなかった。

プレシーズンの段階から体のパフォーマンスはあまりよろしくなく、それから怪我を繰り返すようになってしまった。イングランド時代とは何が変わってしまったのか。レアル・マドリーの歴史上でもこれほどの大損になってしまった選手は他にいないし、アザールにとっても極めて不運だった。

カカ

間違いなくACミランでは世界最高クラスの攻撃的MFであったブラジル代表選手のカカ。あのマヌエル・ルイ・コスタのポジションを奪い取り、イタリアの名門で若くしてその能力を遺憾なく発揮した。

そして2009年、6500万ユーロというクラブ史上2位となる移籍金でレアル・マドリーへとやってきた。まさにクラックであるという評価を受けて鳴り物入りの加入であったが、これはクラブにとってもカカ本人にとっても難しいものになってしまった。

ペジェグリーニ監督もモウリーニョ監督も彼をうまく使うことはできず、カカ自身もリズムを失って怪我に苦しむようになった。2013年にはミランへと復帰することになったが、結局レアル・マドリーで崩れたコンディションを取り戻せなかった。

ジョナサン・ウッドゲイト

レアル・マドリーの歴史上最悪の補強と言われることも多かったジョナサン・ウッドゲイト。イングランドでは屈指のセンターバックであることは間違いなかったものの、彼がスペインにやってきたときはすでに怪我を抱えている状況だった。

そして到着したときに重傷を負い、2000万ユーロの移籍金で加入した彼は長い間戦列から離れることになった。そして加入から1年が経過した2005年9月22日にデビューすると、その試合でオウンゴールを決め、さらに退場した。

その後ようやくトップチームの一員としてプレーする機会を得られるようにはなったものの、再び怪我によって数度の離脱を経験。結局2006年のワールドカップ出場も手術のために断念し、ミドルズブラへと期限付き移籍していった。

アントニオ・カッサーノ

ローマで若くして大活躍し、フランチェスコ・トッティの後継者になると信じられていた天才アタッカー。誰にも予想できないプレーと自由奔放さを持つスター候補であったが、その一方で素行の悪さは有名であり、監督やチームメイトと衝突を繰り返していた。

そして2006年1月にローマと喧嘩別れしてレアル・マドリーへとやってきた。ところがスペインでは生活が荒れたことによって体重が激増し、ローマ時代の恩師でもあったファビオ・カペッロ監督とも対立した。

怪我とコンディション不良、さらに悪い態度が問題となってレアル・マドリーを追われるように去っていった。その後サンプドリア、ミラン、インテル、パルマなどでプレーして活躍したが、エキセントリックな性格だけは最後まで変わらなかった。

ルーカス・シウヴァ

レアル・マドリーのファンにもあまり覚えられていないルーカス・シウヴァであるが、彼の移籍金は1300~2000万ユーロとかなり高額だったと言われている。

2015年1月にクルゼイロからレアル・マドリーへと移籍したが、それから半年後にマルセイユへとローン移籍。さらにスポルティングCPへと貸し出されたが、心臓疾患の疑い(後に問題なしと判明)でピッチを離れ、レアル・マドリーへと返却された。

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そして改めて2017年に古巣クルゼイロに貸し出され、最終的には2019年夏にレアル・マドリーと契約解除。結局8試合しかスペインではプレーしないままでチームを離れた。

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