高岡銅器の技でお色直し 重文・千手観音菩薩収蔵庫

国重要文化財の千手観音菩薩を納める収蔵庫。扉を高岡銅器の着色技術で修復した=高岡市関町

  ●前田家・永姫ゆかりの総持寺

  ●扉鮮やか青銅色

 加賀藩前田家ゆかりの真言宗総持寺(そうじじ)(高岡市関町)は14日までに、国重要文化財である千手観音菩薩を保管する境内の収蔵庫を高岡銅器の着色技術で修復し、扉を鮮やかな青銅色とした。高岡開町の祖、加賀藩前田家2代利長の正室・永姫の没後400年記念事業として取り組んだ。15日から千手観音菩薩と永姫ゆかりの秘仏である薬師如来を開帳し、美しくなった建物で参拝者を出迎える。

  ●没後400年記念事業 15、18、19日に開帳

 千手観音菩薩は、南北朝時代の1353(正平8)年に造られたもので、1950(昭和25)年に国重文に指定された。64年に火災や盗難から守るためコンクリート造の収蔵庫を建て、千手観音菩薩を安置している。2000年からは年1回、千手観音菩薩を公開している。

 収蔵庫は老朽化が進んでおり、扉や階段の破損や汚れが目立っていた。鉄製の扉は縦1.9メートル、横70センチの2枚で、建設当時は濃い紫色だったが経年劣化で黒ずんだ状態となっていた。

 永田龍祥住職(59)が地元の伝統産業である高岡銅器の技術を生かして修復しようと考えた。高岡銅器の着色を手掛ける「モメンタムファクトリーorii」(長江)に依頼し、「オリイブルー」で知られる鮮やかな青銅色に仕上げた。扉内側には千手観音菩薩を表す梵字もデザインした。

 境内の観音堂には、大正期に造られたもう一体の千手観音菩薩も安置されており、金沢の仏師・坂上俊陽さんが像と厨子を塗り直した。

 総持寺は前田家とゆかりが深く、1609(慶長14)年、利長が高岡城を築く際、総持寺の22代住職快雄は利長から関野と呼ばれていた場所の命名を依頼された。中国の古典「詩経」の一節「鳳凰(ほうおう)鳴けり、かの高(たか)き岡(おか)に」から「高岡」と決めたと伝わる。また、利長の正室・永姫は、病気治癒の仏「薬師如来」を厚く信仰し、厨子(ずし)と台座を寄進したとされる。

 毎年11月15日に行っている千手観音菩薩の開帳は、今年は18、19日にも実施し、修復した収蔵庫をお披露目する。50年に一度開帳している薬師如来は15、18、19日に特別に開帳する。

 永田住職は、「境内を多くの方に親しんでもらい、御利益のある空間にしたい」と話した。

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