対馬・厳原に新たな遺跡 元寇の痕跡を探るシンポ 長崎県教委

元寇の痕跡や新たな遺跡の発見について報告されたシンポジウム=壱岐市芦辺町、市立一支国博物館

 長崎県教委は、鎌倉時代の元寇の痕跡を探るシンポジウムを壱岐市内で開き、本年度の発掘事業で対馬市厳原町の下原地区で古代(7~9世紀)と中世(13~15世紀)に形成されたとみられる新たな遺跡が見つかったことなどを報告した。
 県は本年度から元寇をテーマに松浦、対馬、壱岐3市と国と連携して「我がまちの元寇再発見事業」に取り組んでいる。シンポは成果報告として10月28日に開いた。
 県埋蔵文化財センターの松元一浩係長が、対馬佐須浦古戦場跡(対馬市厳原町)と樋詰城跡・唐人原(壱岐市勝本町)の発掘調査概要を発表。元寇に関する新たな発見はなかったが、対馬の下原地区の古代、中世の地層から須恵器や石鍋、中国産磁器、穴の開いた砥石(といし)と青銅製品など、遺物や炭化物が出土し、複数時代にわたり形成された「新規発見の遺跡」と報告した。
 このほか、県学芸文化課の川口洋平課長補佐、九州大の佐伯弘次名誉教授、市教委社会教育課文化財班の立石徹主事も登壇。川口氏は元寇の痕跡について、文献や伝承により後世に関連祈念物となったものが多く、発掘などして検証の必要があるとした。
 立石氏は、壱岐市芦辺町一帯で元寇の遺物などとして祭られている碇石について、松浦市の鷹島沖から引き揚げられた碇石のように木碇に装着された状態でなければ年代の正確な特定ができないため、元寇船のものと証明できないとした。
 来年度の発掘事業についても話し合われ、松元氏は「伝承にとらわれず、立地や地形など地政学的なところも考慮し、発掘場所を吟味する必要がある」と話した。

© 株式会社長崎新聞社