雲仙・普賢岳噴火 当時所長の太田一也さん 学術書の増補改訂版、来春出版へ

来春出版予定の増補改訂版の草稿を手にする太田一也さん。左の冊子は初版「雲仙火山」=島原市内

 九州大島原地震火山観測所(現在の九州大地震火山観測研究センター)の元所長、太田一也名誉教授(88)が1984年に手がけた学術書「雲仙火山」(編集発行・県、A5判98ページ)の増補改訂版の執筆作業に励んでいる。約40年間にわたる研究成果を基に、歴史や地形、地質、火山現象などの分野から学術的に網羅した集大成の一冊になる見通しで、来春の自費出版を予定。太田さんは「雲仙火山が私の人生の全て。100年、200年後の世代にも、噴火で明らかになった知見を伝えたい」と話している。17日は1990年11月の雲仙・普賢岳の噴火(平成の噴火)から33年。
 「雲仙火山」は、太田さんが九州大助教授時代の84年当時、雲仙の国立公園指定50周年の記念に県の依頼を受けて執筆。1792(寛政4)年の普賢岳噴火や眉山が崩壊した「島原大変」などについて解説し、「雲仙火山は寛政の大地変からやがて200年目を迎えようとしているが“災害は忘れた頃にやってくる”との名言を軽視してはならない」などと記していた。
 増補改訂版の草稿では、観測所長時代に始まった平成の噴火活動について「11月17日(午前)3時35分より極めて激烈な火山性連続微動が発生し、夜明けとともに九十九島・地獄跡両火口から噴煙が立ち昇っているのが目視確認された」と記述。溶岩ドームの形成をはじめ、43人の犠牲者を出した1991年6月3日の大火砕流も時系列で状況を記すなど、約5年半にわたった噴火活動を振り返っている。
 島原半島の小浜、雲仙、島原にある温泉の生成過程についても、平成の噴火で確認した震源分布などから、小浜温泉は橘湾深部にある主マグマだまり由来で、雲仙温泉と島原温泉は雲仙市千々石町岳地区の地下にある第二マグマだまり由来であるとする自身の学説を紹介している。
 増補改訂版の執筆は「まだ書き尽くせていない」として初版発行後すぐに取りかかっていたが、平成噴火への対応や、2020年11月に腰椎を骨折したことから一時中断していた。しかし、これまでに原稿用紙換算で600枚以上を書き上げ、現在は2回目の校正を終えている。
 執筆作業を支えている同センター元技術職員の福井理作さん(66)は「増補改訂版は太田先生のライフワークで、調査研究の集大成と言える。来年4月ごろに発行できれば」としている。B5判で昭和堂から発行予定(発行部数、価格未定)。

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