立像5体 東日本最古級 隅ノ観音堂安置、青森・南部町文化財に 平安~鎌倉期製作か

南部町の隅ノ観音堂にある5体の「木造観音菩薩立像」について説明する須藤弘前大名誉教授

 青森県南部町教育委員会は17日、同町小向の隅ノ(すみの)観音堂で会見を開き、同観音堂にある木造観音菩薩(ぼさつ)立像(りゅうぞう)が平安時代末期から鎌倉時代にかけて作られたものと推定される-と発表した。摩耗が激しいが顔の形、衣の彫り方などから、六観音信仰を示す北東北最古、東日本でも最古級の発見で、調査に当たった弘前大学の須藤弘敏名誉教授は「同時期のものとして極めて貴重な発見」と説明。立像を町有形文化財に指定したことも明らかにした。同文化財の指定は76件目。

 立像は高さ約41~47センチ、幅7.5~8.8センチで、裏側は細工を施していないことから、立てかけて使用したものとみられる。腕は欠損しており、全体的に損傷・摩耗が激しいものの5体一具で残っており、もう一体は劣化や盗難等何らかの理由で失われたが、六観音信仰に基づく観音像とみられる。既に、同文化財に指定されている同観音堂の本尊「聖観音菩薩坐像(ざぞう)」は江戸時代に再興されたとみられ、5体は観音堂の厨子(ずし)内で、本尊両脇に安置されていた。立像は地域でよく知られた存在だが、須藤名誉教授が2003年8月から調査を行っていた。

 同観音堂は北東北最大の戦国大名・三戸南部氏の中心的城館だった国史跡・聖寿寺館跡(しょうじゅじたてあと)から南西約400メートルの場所にあり、同氏入部前の中心地と考えられる元三戸に位置する。南部氏が同地を支配するはるか昔から、地域住民の信仰対象だったものとみられる。

 須藤名誉教授は「5体そろったものはめったに見つからず大変貴重。99.5%、六観音像と考えて間違いない」と説明。顔幅が大きく、腰布など岩手や青森県など周辺で見つかっている像と同様の特徴を持っている半面、「台座を本体と一緒に彫るなど中央では決して取らない技法で製作されており、六観音の特徴も表していないが、地域信仰の形態をとどめているのでは」とした。また、同観音堂が奥州街道と鹿角街道が交わる位置にあることを踏まえ、重要な位置にあったと指摘した。

六観音信仰 地獄道、餓鬼道、修羅道など六道それぞれの衆生を救う6体の観音をまつる信仰。平安時代中期ごろから盛んになったとされるが、現存する作例は極めて少ない。

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