嘉手納基地に無人機配備で重なる記憶 米軍B52墜落から55年 住民「危険は昔も今も変わらない」

B52戦略爆撃機が墜落した米軍嘉手納基地内の事故現場=1968年11月(嘉手納町教育委員会提供)

 地鳴りのような爆発音が響いた後、夜明け前の闇が真っ赤に染まった。1968年11月19日午前4時15分ごろ、米軍嘉手納基地を離陸したB52戦略爆撃機が基地内で墜落し、爆発炎上した。きのこ雲が立ち上り、多くの嘉手納住民が「戦争が始まった」とパニックになった。それから55年。嘉手納には新たに無人偵察機「MQ9」が配備された。基地と隣り合わせの嘉手納町民は「昔も今も基地の強化は変わらない」と訴える。(中部報道部・砂川孫優)

 B52は68年2月、グアムの米軍アンダーセン基地から嘉手納に常駐した。ベトナム戦争で北ベトナムを爆撃するため、103機が沖縄を前線基地とした。

 当時の嘉手納は遮音壁ではなく、フェンスで囲われていた。基地沿いの黙認耕作地で農業する知念勇一さん(82)=同町屋良=は「石を投げたら届く距離に駐機していた」と振り返る。

 黒い機体は昼夜問わず弾薬の補充と給油を繰り返し、嘉手納からベトナムに飛び立った。エンジン調整時は住宅側に機体の「お尻」を向け、ごう音を響かせながら熱風と廃ガスを噴出。基地沿いで農作業する住民のやけど被害が多発した。

 基地近くの自宅で母と妻、子どもの計5人で暮らしていた知念さん。日常は突然の爆発音と地響きで一変した。外に出ると上空は赤く、真っ赤な炎が吹き上がっていた。基地が攻撃されたと誤解した人々が「戦争だ」と大声で叫びながら逃げ惑う。ぼうぜんと眺めながら「ついに始まったんだ」とつぶやいた。

 車で北部方面に逃げようとしたが「戦争が始まればどこに逃げても同じ」と思い、自宅にとどまった。爆風がやむと空から部品に交じって砂が雨のように降り注ぎ、トタン屋根が「さらさら」と音を立てた。米軍は情報統制したが離陸に失敗したB52が墜落し、搭載していた爆弾に引火したと、その日の午後に届いた夕刊で詳細を知った。

 墜落から55年。嘉手納の空は米軍の常駐機や外来機が頻繁に行き交う。度重なる騒音に悩まされながら「特にうるさい」と指したのは、暫定配備されているF35ステルス戦闘機だ。

 嘉手納では11月から無人偵察機の運用が始まった。住民に説明がないまま配備された新たな機体を見て、「B52がやって来た当時をほうふつさせる。有事の準備でしかない」と憤る。

 基地と住民の境界となっている遮音壁。「本当の平和が訪れ、生きている間にこの壁がなくなることを祈る」とつぶやいた。

嘉手納基地の遮音壁に隣接する黙認耕作地で事故現場の方向を指さす知念勇一さん=14日、嘉手納町屋良

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