[社説]池田大作氏死去 平和の党に大きな試練

 長きにわたって創価学会を率いた池田大作名誉会長が死去した。95歳だった。

 1947年、日蓮正宗の信徒団体だった創価学会に19歳で入会した。

 少年時代に第2次世界大戦を経験し、戦争ほど残酷なものはないという思いを深めたという。60年の第3代会長就任後からは「平和な社会を目指す」との思いを活動の原点にした。

 就任翌年に「公明政治連盟」を設立。これを母体に「平和の党」を掲げ公明党を結成した。

 宗教指導者として国際交流、文化・教育活動にも力を入れ、75年には創価学会インタナショナル(SGI)を結成した。

 一方、学会の活動が社会問題化したこともあった。

 「折伏(しゃくぶく)大行進」と呼ばれる激しい勧誘は厳しい批判を受けた。後に「真剣さのあまり、非常識のそしりを受けるような行動もあったにちがいない」と自らの著書で振り返っている。

 学会に批判的な書籍の出版差し止めを公明党トップが有力政治家に依頼した「言論出版妨害事件」など、公明党との政教分離を巡っても批判は繰り返された。

 70年に公明議員と学会役職の兼任を認めない「政教分離」を宣言したものの、その後も公明党と、支持母体の創価学会の関係には議論があった。79年に会長を辞任した後も名誉会長として学会運営に絶対的な影響力を持ち続けてきた。

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 平和への思いから、沖縄と池田氏の関わりは深い。

 沖縄の創価学会婦人部や青年部は50年代から沖縄戦の掘り起こしや核廃絶に向けた運動に熱心に取り組んできた。

 学会が恩納村の米軍基地跡地を研修道場として整備した83年には、当初取り壊す予定だった米軍の核ミサイル「メースB」の発射台を「人類が愚かなことをした証しとして残そう」と提案した。

 国連軍縮特別総会をきっかけにした「核の脅威展」を広島、長崎両市などと協力し、中国や旧ソ連を含む13カ国で開催。その功績で国連栄誉章も授与された。国内での同展締めくくりの地に選ばれたのは沖縄だった。

 2014年には、SGI会長として異常気象の被害を食い止める国際協力をはじめ日中韓の首脳会談の開催や、核兵器廃絶についての提言を発表。その年の慰霊の日には同提言を県内2紙に掲載し、「安全保障のジレンマ」に触れるなど軍拡を危惧するメッセージ広告も出した。

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 池田氏の影響は大きく、学会の会員は国内827万世帯、海外280万人にまで広がった。

 こうした固い組織票は自民と公明の連立政権を強固にする一方、「集票マシン化」したとも言われる。

 特に安倍晋三政権以降は自民に押され、集団的自衛権の行使容認や反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有など安全保障政策の大転換を前に平和の党の存在感は薄れている。

 支柱を失った学会がどこへ向かうのか。平和の党にとっても大きな試練だ。

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