泣いて謝る母を見て「自分は何をやっているんだろう」 元暴走族 “特攻隊長” の人気レスラー 故郷に恩返しのリング 人生の転機は「えびす講」 デビュー20周年凱旋興行に密着

リングアナウンサー
「175センチ、93キロ、宮本裕向~!」

宮本裕向(みやもとゆうこう)選手、41歳。2003年にデビューして、現在は年間200試合以上をこなす “売れっ子” プロレスラーです。

プロレスラー 宮本裕向 さん(以下、裕向さん)
― なぜ毎回激しい試合ができる?
「来てくれたお客さんを、みんなを楽しませたいからですね」

華麗な技を決め、大きな声援を受けます。人気プロレスラーの裕向さんには、24年前、人生の転機となる出来事がありました。

元暴走族の “特攻隊長” 人生の転機となった「えびす講」

1999年の「えびす講」(広島市中心部)。道路を占拠した暴走族と警察が衝突しました。

拡声器で警告する警察官
「君たちを道路交通法違反で検挙することとなる」
「検挙、検挙!」

警察は暴走族の一斉検挙に踏み切りました。えびす講が開催された3日間に繰り返された衝突で、多くの暴走族のメンバーが検挙されました。

その1人が、当時17歳の裕向さんでした。70人以上のメンバーがいる暴走族の “特攻隊長” をしていました。

裕向さん
「(暴走族に入ったのは)何かそのやるせない部分を、共感できる仲間たちを探してると思うし、何かに不満がある人たちが集まれる場所みたいなのが、当時は暴走族だったかなと思いますね」

記者レポート(当時)
「機動隊との衝突がまた始まりました」

裕向さん
「ぼくは、最終的に何度かこう機動隊と暴走族との衝突があった中で、最終的に引きずられて機動隊の中に引きずられて、そのまま連れて行かれて広島東警察署に連行されました」

泣いて謝る母の姿を見て 「自分は何をやっているんだろう」

母親が裕向さんを警察署に引き取りに来ました。

裕向さん
「(母親が)警察署に入りながら『すいません、うちの子がすみません』みたいなことを言って、謝りながら入ってきた母親を見て、自分は何やってんだろうなみたいなのはありました」

自分のために涙を流しながら謝る母親の姿を見て、暴走族を辞める決心をしました。その後、高校も退学になりました。

裕向さんは広島県廿日市市吉和の出身です。

裕向さん
「ただいま」

この日は全国各地をめぐる巡業の合間をぬって帰省しました。

裕向さんの母・千鶴子さん
「同級生が5人しかいないんですよね」

裕向さん
「あぁ、ほんまじゃ、懐かしい。ぼく、ここにつむじがあるんで、つむじが二つあるんで、髪型がこうなってんですよね」

裕向さんの母 千鶴子さん
「中学まではずっとひょうきんで、いろいろと人を笑わせたりするのが好きでしたね。中学校までは真面目でしたね」

裕向さんは高校を退学になった後、建築の仕事をしていました。しかし、高校1年の時にテレビで見たプロレスの衝撃が忘れられず、20歳の時にプロレスラーを目指して上京しました。

裕向さん
「練習きつかったですけど、辞めたいと思ったことはなかったです。好きなことやってるから。気持ちが強かったんじゃないですか、やる気だけはあったから。すべてを捨てて(実家のある吉和を)出るわけじゃないですか、友だちも全部。最初はけっこうホームシックになりましたけどね」

はじめ両親は、プロレスラーになることに大反対でしたが、裕向さんのがんばりを見て、今は応援しています。

裕向さんの母 千鶴子さん
「まあ、けがが心配でね、自分が好きなことなのでしょうがないかな」

裕向さんの父 守さん
「自分の生き方じゃけ、それをああせえ、こうせえはできないよね、親は。自分で決めたもの、やる限りは自分で責任持つ以外ないんで。ほかには何にもないです」

昔はちっちゃくて細かったけど…「本当、ボクらのヒーローなんで」

裕向さん
「いよいよ本日のメインイベントが、ここから行われますよ」

リングシューズを履いて闘う準備はできました。

審判員
「ただ今から昭和対平成のバスケットボール大会を行います。お互いに礼」

始まったのはプロレス…ではなくバスケットボールの試合。中学生の時はバスケ部だった裕向さんの呼びかけで、同級生や後輩たちが集まりました。

ふるさとの仲間と楽しい時を過ごしました。

保育園~中学校までの同級生 川崎貴太 さん
「昔は一番ちっちゃくて、ひょろくて、それがあんな感じになるとは本当に思わなかったです。本当、ぼくらのヒーローなんで、ずっとがんばってもらえたらと思う。ずっと応援していきたいと思います」

裕向さん
「やっぱ持つべきものは地元なのかなと思いますよ。地元を捨てて東京に行ったけど、地元いいなと思いますね。」

先月、裕向さんは地元・廿日市市のラジオ番組で、あるイベントの開催をPRしました。

パーソナリティ 黒木真由さん
「宮本裕向選手の凱旋試合が廿日市市吉和で開催ということで…」

裕向さん
「はい、そうなんですよ。11月19日、日曜日お昼の2時からやりますね。」

吉和で5回目の自主興行です。コロナ禍もあって6年ぶりです。

裕向さん
「中学生以下は無料になってます。ぜひ子どもがおられる方は連れてきてもらえれば。ぼくの中でもやっぱり子どもたちに見せたいので。自分たちの子どものときに(プロレスを見た)影響があったから」

会場に来てプロレスの生の迫力・楽しさを感じてほしいと呼びかけました。

黒木真由さん
「さっきも少年がのぞいていましたが…」

裕向さん
「おお、少年! ありがとう」

黒木真由さん
「喜んでますね。プロレスラーだよ」

アジャコングも参戦! プロレスデビュー20周年凱旋興行

そして迎えた裕向さんのプロレスデビュー20周年凱旋興行。兄弟や知人たちが協力して盛り上げてくれます。

裕向さんの兄弟や知り合い
「裕向、20周年おめでとう。がんばれ!」

裕向さん
「楽しいプロレスをこの吉和で、廿日市市吉和で見せたいと思いますので、みなさん、楽しんでください。宮本裕向のプロレス2023スタート!」

裕向さんがプロデュースした大会は、出場選手も個性派ぞろい。地元・吉和だけでなく北海道から鹿児島まで全国から裕向ファンが集まりました。

そして、待ちに待った裕向さんの試合です。対戦相手は泣く子も黙る「アジャコング」です。

裕向さんはショルダータックルの打ち合いから場外に…。

パイプ椅子で背中を一発。

お返しはおでんにからしを大量に添えて口元に…。

観客も裕向さんのピンチを阻止します。

その後も一進一退の攻防になりました。

ここで裕向さんは得意のムーンサルトプレスで試合を終わらせたいところ…。しかし、カウント2で返されます。

逆にアジャ・コングに得意の裏拳、ダイビングエルボードロップを決められます。

審判
「1、2、3~!」

裕向さん、3カウントを奪われ、試合終了です。

メインイベントは全選手参加のバトルロイヤル。ここでも裕向さんはパフォーマンスで観客を楽しませました。

観戦した地元の児童
「楽しかったです!」
「めちゃくちゃおもしろかったです」

香川県からの観客
「地元の人とのふれあいというか、宮本さんはそういうのを大事にしてるじゃないですか。それをぜひ体験したいなと思って来ました。前回も楽しかったので、また来ました」

プロレスラー 宮本裕向 さん
「本当、みんな楽しんでくれたんで、本当にこの町でできてよかったなっていうのと、これからもやっぱり自分はここで育ったんで、この町に恩返ししたいなと思います」

裕向さんは3年後、また地元・吉和でプロレスをしたいと意気込んでいました。

青山高治 キャスター
「24年前のえびす講は全国的にも大きなニュースになって、広島のイメージみたいなものにもつながりましたけど、そこから24年経って、同じえびす講の時期に自分のふるさと吉和で小さな子どもから高齢の方までみんなを笑顔にさせていて…。裕向さん本人もだし、家族とか友人もいろんな思いでこの日を迎えたんでしょうね」

コメンテーター 福本成美 さん
「24年前のえびす講は、わたしは東京で見たんですよ。広島、大変なことになってるよと言われながらのえびす講だったので、もう感慨深く見ていましたね。楽しくエンターテインメントとしてみなさんに与えているのは、パワーをもらいますね」

田村友里 キャスター
「試合の迫力もですけど、観客のみなさんがすごい笑顔だったのが印象的で、宮本さん自身も学生の時にプロレスにあこがれを持って、今度は子どもたちに夢を与える側になっているというのがすばらしいなと思いましたね」

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