「ベトナムに帰ったら稼げない」 帰国まで残り4か月… 技能実習生Aさんに「失踪」決意させた“切実な背景”

Aさんは「私は運が悪かった」と語った(Lyo / PIXTA)

出入国在留管理庁によれば、昨年失踪した外国人技能実習生は9006人と過去2番目に多かったといいます。日本には約32万人の技能実習生がおり、“失踪率”でいえば約2.8%。これを多いと見るか少ないと見るかは、人ぞれぞれかもしれません。

失踪の原因はさまざま考えられますが、その原因は必ずしも、一般的にイメージされる「劣悪な労働環境」ではなく、「思うように稼げない」状況も大きく影響していると言われています。

技能実習をきっかけに祖国で“勝ち組”の人生を手に入れた人、失踪せざるを得ない状況におちいった人、“技能実習マネー”に群がる有象無象…。多様な立場から見つめると、日本が生み出したこの制度がいかに“複雑怪奇”であるか分かります。

第3回目は、「これから失踪予定」だという20代のベトナム人男性Aさんの話を通して、技能実習生たちが、なぜ“失踪せざるを得ない状況”に追い込まれて行くのかを探ります。

(#4に続く)

※この記事はジャーナリスト・澤田晃宏氏による書籍『ルポ 技能実習生』(筑摩書房)より一部抜粋・構成しています。

東京は稼げるから手数料が高い

2018年11月13日、週半ばの水曜日の午後7時だった。失踪予定のベトナム人男性は、指定した東京都内のベトナム料理店に筆者と通訳者より先に到着していた。男性が住む町から電車で20分程度の場所で、これまでに来店したことがあったという。

取材は、名前や年齢、勤務先など、個人を特定できる名称を伏せることが条件だった。ここでは、失踪予定者のAさん(20代)とする。ベトナム人は平均身長が男性で162.1センチ、女性で152.2センチ(2016年)と小さいが、Aさんは身長も高く、がっしりとしていた。食事をしながら話をしようと勧めると、Aさんはベトナム式のつけ麵ブンチャとハイネケンを注文した。

Aさんは型枠工事作業の実習生として、2016年に来日。3年間の技能実習の期限が、4か月後に迫っていた。Aさんは言った。

「技能実習が終わる少し前に失踪しようと思っています」

Aさんはベトナム東北部の農村部出身。地元の高校を卒業後、ハノイ市内の短期大学に進学。

短大時代にホテルのフロント業務でアルバイトをし、様々な外国人と接するなかで、礼儀正しい日本人が好きになったという。そのため、故郷の村からは台湾や韓国に出稼ぎに行く人が多かったが、自身は日本で働きたいと思うようになったそうだ。

Aさんは短大卒業後、ベトナムで就職してもお金を稼げないと判断。友人に紹介された送り出し機関に約100万円を払って、日本にやってきた。

「お金は、2割は家族と親族から借り、残りは銀行から借りました。100万円は高いとは思いましたが、送り出し機関のスタッフからは『東京は稼げる分、手数料が高い』と言われ、納得しました。だけど、雇用契約書を見ると、手取りは9万円(2万円の住居費が引かれた手取り)。それでも『契約書には9万円と書いているが、実際は残業もあって、15万円以上になる』と説明を受け、納得していました」

日本人は全員65歳以上

現実は違った。

毎日5時半に起き、6時半には会社へ。車で現場に移動し、8時から午後5時まで働く。後片付けをし、事務所経由で自宅に着くのは午後7時を過ぎることがザラだった。拘束時間は長いが、給与は実際に働いた8時間分しかもらえない。さらには、Aさんの日給は7000円で、働いた日数分しか給料が支払われない日給制だった。梅雨のシーズンなどは休みの日も多く、手取りが9万円を下回り、最低7万円台になったこともあった。

住まいは、会社が準備した1K・25平米の古いアパート。そこに、同じベトナム人実習生3人と住んだ。その家賃として、毎月2万円をひかれた。会社は家賃として3人分で6万円を徴収していることになる。聞けばとても古いアパート。東京都内とは言え、Aさんの住むエリアならば、それよりも安く借りられるのではないかと疑いたくなる。

先述の通り(編注:抜粋箇所外で実習生の住居について紹介)、実習生の住居は「床の間・押入を除き、1人当たり4.5平米(約3畳)以上を確保すること」が求められている。その条件はクリアしているかもしれないが、1部屋に3人ではプライベートな時間はないだろう。

勤務先はAさんを含めたベトナム人技能実習生が3人と、日本人が3人の小さな会社だった。

日本人は皆、65歳以上だという。まだまだ若く、体力のある自分たち実習生が現場に貢献している自負はあった。1年目が終わった時に、勤務先の社長に「給与を上げて欲しい」とお願いした。

「給料を上げてやりたいと思っても、監理団体に支払う監理費が高く、これ以上は給料を払えない」

社長はいつもそう言って、賃上げには応じなかった。

「私は、運が悪かった」

ただ、たまに若い日本人が入社してくるが、彼らの日給が、たとえ未経験者でも1万円であることを知っていた。それでも、誰も1か月と続かない。数日働いては、辞めていく。日本人には人気のない仕事なんだと思った。一方、自分たちはそんな人気のない仕事でも、毎日働いているのに、給料が安く抑えられている。納得がいかない。

そもそも、給与を上げられない理由に監理団体への監理費を挙げるが、その監理団体が現場に来たことはなかった。監理団体には、3か月に一度(1号期間中は毎月)は実習先の定期監査を行い、実習計画が適正に遂行されているかどうか、外国人技能実習機構に報告する義務があるにも関わらずだ。

早く借金を返済して、貯金をしたい ―― 。

食費はできる限りおさえた。業務用スーパーで鶏肉をキロ単位で買い、少しずつ食べる。外食は3か月に1回というルールを設け、毎月の出費を2万円以内に抑えた。手取りが10万円に満たなくても、最低7万円は貯金した。

Aさんは日本に来て1年半で、借金を全額返済した。帰国から4か月前に迫った取材時には120万円の貯金があった。しかし、それはAさんにとって十分な額ではない。

「日本に来るまでは、300万円は持って帰れると思っていました。両親のために家を建ててあげたい。そのためには、120万円では足りない。ベトナムに帰ってしまったら、稼げない。技能実習が終わる前に失踪して、まだまだ働きたい」

日本が嫌いになったかと聞くと、Aさんはこう答えた。

「会社のことは嫌いですが、日本は嫌いではありません。弟は溶接の実習生として名古屋にいますが、残業も多く、給料が高い。2年でもう250万円を貯めています。私は、運が悪かったと思います」

実習先の会社を選べるようになればいいですねと、最後にAさんは口にした。

(第4回目に続く)

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