私はいわゆる受け顎です。しゃくれて見えるだけではなく、上下のかみ合わせが物理的に逆になっています。「ゴリラの食べ方」と言われたり、顎の突き出しをまねられたりして非常に傷つきました(※ルッキズムを巡るアンケートの回答)
フリーライターの山岸武さん(仮名、50代、兵庫県西宮市)は幼い頃、母によく言われた。
「あんたは受け顎やからな。このままやったらブサイクになってしまうよ」
されるがまま、お風呂で母のマッサージを受けた。歯医者で「温めてほぐして押さえれば、ちょっとはましになるかも」と聞いたらしい。母の手で下顎を押さえられながら「こういう顎はブサイクなんやなあ」と思っていた。
母はいつも「あの人みたいになってしまうよ」と、ある芸能人を引き合いに出した。テレビにその芸能人が映ると「ぶっさいくな顎してるな」と嘲笑した。隣にいた祖母も一緒に笑っていた。
「幼少期からずっと、深層心理に焼き付いているのだと思います。自分は人とちがうんだな、普通じゃないんだなって」
明確に意識させられたのは、中学2年のときだった。給食の時間。班のメンバーと机をくっつけ、昼食を取っていた。
横から視線を感じた。目をやると、同じ班の女子2人が、ちらちらと見ている。かと思うと2人で向き合い、くすくす笑った。視線の先は、顎だった。
「食べているところを横から見られると、受け顎が特に分かりやすいんです」
続けて2人は大げさに下顎を突き出し、顔をゆがめるようにして、もぐもぐと口元をうごかした。そして、ぎりぎり聞こえるくらいの声で「ゴリラの食べ方や」とささやき合った。
「とつぜん始まるんですよ、そういうのって。なんとなく、そこはかとなく、初めて目に触れるものがなんかおかしい、みたいなね。でも、そういう一つ一つが刺さるんです」
■顎が鳴った
自分で収入を得るようになったら整形手術を受けると決めていた。「地獄から天国に大逆転できる」。それくらいの気持ちでいた。
病院へ行くと、外科医にこう説明された。成人の手術は後の生活に悪影響を及ぼすリスクが高い。絶対にやめたほうがいい-。
医師がそこまで言うのなら、仕方ないのかもしれない。整形手術はきっぱりあきらめた。「ある意味で腑には落ちた。それと気になるか気にならないかは、まったく別のことですけど」
子どもの頃からの癖がある。一人になると、かみ合わせが「普通」になるようにぐっと下顎を引く。夜寝るときは、いつもうつぶせ。枕に顎を押し付けて体重をかけた。
そして30代の中頃、異変が生じた。口を開けたとき、パキっと鳴った。閉じようとすると激痛が走った。
顎関節症と診断された。顎に負担をかけてきた積み重ねが原因だった。
「これほどまでに顎に負担をかけてきたこと。どれだけ気にされていたのか、私も想像できます」
診てくれた医師は同年代の女性だった。目をうるませながら声をかけてくれた。彼女もまた、自分と同じ受け顎だった。食事もままならないほどの痛みは2週間以上続いたが、少しだけ救われたような気がした。
■数ミリの隙間
ただ、現実は変わらない。社会に美の基準があるとしたら「きれいじゃない方に入るんだろうな」との意識は消えない。
普段、唇を閉じているように見えても、実は上下の歯を数ミリだけ浮かせている。受け顎のシルエットが際立ってしまうから、歯をかみ合わせたくない。
今回、取材に応じたけれど、コンプレックスを「どう乗り越えた?」とか「受け入れた?」とか質問されても、正直困る。メディアで取り上げられるのは、そんな「立ち直り」のストーリーばかりな気がする。
「受け入れられた人は勝者で、まるで乗り越えられない自分は敗者のように思えてしまって。どちらの立場も尊重される社会であってほしいのですが…」
この顎で50年以上生きてきた。子どもの頃に染みついた癖は、一生続くのだと思う。そして、いまだに想像することがある。
「もし普通の顎で生まれてきていたら、どれだけ僕の人生はちがっていたのだろう」(大田将之)
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神戸新聞のシリーズ「すがたかたち ルッキズムを考える」では、容姿を巡る体験談やルッキズムに対する考えを紹介しています。私たちはなぜ、人の容姿にあれこれと口を出してしまうのか。なぜ、見た目がこんなにも気になるのか。どうすれば傷つけてしまう前に立ち止まることができるのか-。そんな問いについて考えながら、見た目にコンプレックスを抱く「当事者」らにお話をうかがいました。