外資系企業から「真珠商店」転職 「日本市場に忘れられた」存在、再興目指す女性の原動力とは

個性的な琵琶湖産の真珠が並ぶ店頭に立つ杉山さん(大津市中央3丁目・神保真珠商店)

 外資系企業で工場設備の設計を担当していた。男性社会だったが「極めたいと思っていた」。会社が合併することになり、自らも人生の岐路に。ちょうどその頃、親友が亡くなった。仕事第一だったそれまでの価値観も同時に崩れ去った。「周りの人間関係こそが大切だと気付いた」。浮かんだのは、家族と家業のことだった。

 杉山知子さん(49)の実家は琵琶湖産の真珠を加工販売する「神保真珠商店」。1966年に祖父が始めた。父が継いでいた家業を手伝うと決めた。

 祖父は昔、10代だった自分に1粒の真珠をネックレスに仕立ててくれた。琵琶湖の真珠らしいユニークな形で「表面は波打ち、乱反射がきれいなものです。自分だけの特別なものに感じた」と振り返る。祖父が亡くなった後、形見として身に付けている。

 家業に入ってから父と訪問した養殖業者は、苦境の中でも美しい真珠を目指していた。1970年には生産量が6千キロを超えていたが、母貝の成長不良などで生産量は激減している。「日本の市場からは忘れられていた。役に立ちたいと思った」。

 2014年、滋賀県庁近くの大津市中央3丁目に実店舗を構え、店長となった。多様な形が特徴の真珠を、シンプルで洗練されたデザインで仕立てて販売すると、テレビでも取り上げられた。「店を始めたころはほとんどの人が知らなかった。知っている人が増えたことがうれしい」。

 大勢の人に届くようになったのも「自分の力だけではない」と話す。亡くなった友、家族、仲間に導かれて琵琶湖が抱いた真珠を広めている。

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