エスパルス×ヴェルディはチケット完売必至の「黄金カード」だった!! あすJ1昇格かけて激突する両雄の“31年前の激闘”をプレイバック 

Jリーグの草創期、清水エスパルス対ヴェルディ川崎(現 東京ヴェルディ)がリーグ屈指の“黄金カード”と呼ばれていたことをご存じだろうか。あれから約30年、“オリジナル10”と呼ばれるこの2つのクラブが、今度は「J1昇格」の座をかけて、12月2日、東京・国立競技場で相まみえる。

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日本初のプロサッカークラブ「読売クラブ」の流れをくむ名門ヴェルディに対し、エスパルスは、サッカーの街・清水でJリーグ発足とともに生まれた新星。31年間の通算対戦成績は、ヴェルディ25勝、エスパルス16勝(9引き分け=PK戦を含む)と、清水にとって、ヴェルディは高く険しい壁だった。

両雄が国立で戦うのは、2004年以来、実に19年ぶり。かつてを知る古参サポーターには、決戦を前に少しノスタルジックな気分を浸っていただくとともに、あの頃を知らない人には、「オレンジ」と「緑」がJリーグの礎を築くうえで欠かせない存在であったかを、ぜひ、心にとどめていただきたい。そこで、31年前、聖地・国立で行われた両クラブによる「初タイトル」をかけた戦いを振り返る。

「緑色の旗ばかりになると思った」

Jリーグが開幕する1993年の前年、その前哨戦として行われたのが、リーグ初の公式戦「Jリーグヤマザキナビスコカップ」(現 JリーグYBCルヴァンカップ)。当時の日本のサッカーは、プロ化こそしたものの、野球に比べ、一般市民には、まだまだなじみは薄く、日本代表もワールドカップに出場したことがない時代だ。

その中で異彩を放っていたのが、ヴェルディだった。三浦知良やラモス瑠偉、武田修宏、北澤豪、柱谷哲二など当時の日本代表がズラリと名を連ねる強豪は、10クラブ総当たりの予選リーグを首位で突破すると、準決勝では鹿島アントラーズを一蹴、順当に決勝へと駒を進める。

このスター軍団に挑んだのが、10クラブで唯一母体を持たず、市民が株主となってクラブを支えるというエスパルス。メンバーは長谷川健太、大榎克己、堀池巧の“清水三羽烏”、さらにカズの兄・三浦泰年や澤登正朗など、静岡出身の選手が中心。クラブ発足後半年足らずの新興チームが快進撃を続け、ファイナルの舞台まで駆け上ってきた。

1992年11月23日、舞台は、快晴の国立競技場。当時、国内で行われるサッカーの試合で多くの観客が集まるのは、トヨタカップ(現 クラブワールドカップ)ぐらいだった時代に、チケットは完売、超満員の5万6,000人が詰めかけた。

前評判は、試合も、サポーターの数もヴェルディの圧倒的優勢。試合当日のSBSアナウンサーのリポートを聞き直すと「スタンドは、読売の緑の旗ばかりになるかと心配しました」。しかし、ふたを開けてみると、スタンド右半分はエスパルスのクラブカラー、鮮やかなオレンジ色に染まった。

「ゴールさえ決まれば勝てる」

「清水は日本のブラジル、だから、応援もブラジルスタイルで」と本場・ブラジルから招いたプロ奏者が奏でる軽快なサンバのリズムにあわせて、右へ、左へと、打ち振られるいくつものオレンジ色のフラッグは、まるで大きな波のように見えた。
さらに、上空へ目をやると巨大な飛行船が登場。何の宣伝かと思いきや、その船体には「がんばれ!清水エスパルス」の文字が。クラブ創設時からいまもスポンサーを続けている航空会社の粋な応援が、オレンジサポーターの胸をさらに熱くさせた。

「プワァー」
いまでは禁止されている甲高い音色が特徴のチアホーンが絶え間なく鳴り響く中、プロサッカー初のタイトルをかけた決勝戦はキックオフ。ゲームは前半、戦前の予想を覆し、エスパルスが何度もヴェルディゴールを脅かす展開となる。
長身DFマルコ・アントニオのFKはゴールからわずかに逸れると、続いては、元ブラジル代表FWミランジーニャのパスに反応した“牛若丸”FW向島建のシュートがポストを直撃。さらには、平岡宏章のロングスローを“飛行機ポーズ”で人気を博したトニーニョが頭で合わせるが、これもネットを揺らすことはできない。

なおも攻勢をかけるオレンジ軍団のプレーに、サンバのリズムは大きくなる一方。守っても、ヴェルディの攻撃をGK真田雅則を中心に、しっかりと守り切り、スコアレスで前半を折り返す。

「ゴールさえ決まれば、ヴェルディに勝てる」
誰しもが思った後半12分、落とし穴が待っていた。

両雄激突の舞台は、いつも国立だった

ヴェルディは高い位置でボールを奪うと、スルーパスに反応したカズが冷静にゴール右隅に決め、先制する。それまで、カズに決定的なシーンをほとんど作らせなかったエスパルス守備陣だったが、まさに一瞬の隙を突かれた形となった。

何とか追いつきたいエスパルス、再びヴェルディゴールに迫るが、コーナーキックからの攻撃もポストに阻まれ、左サイド・澤登のクロスからトニーニョのヘディングシュートは、ポスト脇をすり抜けていった。

放ったシュートは、ヴェルディ11に対し、エスパルスは16と上回りながらも、カズの1点に泣き、初代王者はヴェルディに輝いた。この決勝戦の熱気が、かつてないサッカー人気の起爆剤となる。

翌年開幕したJリーグ、両雄がタイトルをかけて再び戦ったナビスコカップ決勝、そして、30年前のきょう、12月1日に行われたリーグ戦セカンドステージの首位攻防戦も国立が舞台となった。そして、満員に膨れ上がった聖地で、エスパルスは苦杯をなめ続けた。

オレンジ軍団が初めて優勝カップを掲げたのは、それから3年後の1996年。雨に濡れた夜の国立、この時の相手も、緑の軍団。エスパルスとヴェルディは、違いなくJリーグ草創期の“主役”だった。

あれから31年。エスパルスは、2度のJ2降格を経験し、ヴェルディも15年、J1の舞台から遠ざかっている。国立競技場は大きく姿を変え、かつての黄金カードも、J1昇格をかける一発勝負となった。それでも、あえて、こう言わせてほしい。

国立には、「オレンジ」と「緑」が、よく似合う。

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