●70年以上描き続け 「最高の気分」
20代の頃から本格的に絵画を描き、いつか個展をと夢見た思いが70年超を経て2日、かなった。10月に数えで99歳を迎えたかほく市外日角の新田茂外子(もとこ)さん。「自分が亡くなったら遺作展を開いて」と同市文化協会長の長男哲夫さん(78)らに話していたところ、3人の息子や孫、ひ孫らが「おばあちゃんの喜ぶ顔が見たい」と白寿記念の作品展を企画、準備に奔走した。会場で祝福された新田さんは時折、目を潤ませながら「最高の気分です」と喜びに浸った。
●3人の子を育て孫8人、ひ孫15人
新田さんは1925(大正14)年生まれで、戦前は地元七塚小の教員だった。結婚後に旧満州(現中国東北部)に渡り、引き揚げ後は青果店、呉服店などを営み、3人の子を育てた。旧七塚町の婦人団体連絡協議会長や調停委員などを務め、1990年には藍綬褒章も受章した。孫は8人、ひ孫は15人いる。
じっとしていることが嫌いといい、店を切り盛りする合間をぬって子どもの頃から好きだった絵画や俳句を始めた。何事にも没頭する性格で、作品づくりに熱中すると仕事の苦労も忘れられた。いつか作品展でも開けたらと願っていたが、機会がなかったという。
哲夫さんらは、新田さんが日頃から「遺作展を開いて」と話すのを聞き、「どうせならおばあちゃんが元気なうちに、白寿をみんなで祝いたい」と記念の作品展を思い立った。
作品陳列や案内はがき作製などの準備作業は内灘町写真協会長も務める次男の啓二さん(75)、三男の隆志さん(74)、哲夫さんの妻万里子さん(77)らも力を合わせた。期間中は長年の俳句仲間である「木犀(もくせい)会」メンバーも協力する。
会場のうみっこらんど七塚には、花や人物を描いた日本画や水墨画、「熱く生き残る余生のさわやかに」などの俳句の短冊、認知症予防にと取り組んでいる塗り絵など100点以上が並んだ。辰巳丘高芸術コース3年のひ孫、雪乃さんが家族を描いた作品をはじめ、孫やひ孫の書道なども紹介された。哲夫さんは「先人や家族、周囲の人との絆の大切さを考える機会になればうれしい」と話した。
「時間がもったいなく、一瞬一瞬に全力投球して生きてきた」と語る新田さん。現在は車いすでの生活を送るが、期間中の午後からは、体調が良ければ会場で来場者を迎える予定にしている。「息子や孫たちがいろんな趣向を考えてくれて本当にうれしい。あの世のいい土産になります」とほほ笑んだ。
新田茂外子白寿記念作品展(北國新聞社後援)は4、11日を除き、12日まで。