6月に亡くなった父 写真に残る一度きりのNAHAマラソン「俺らも走る?」 家族つなぎ“弔い走”へ「見守ってね」

[第37回NAHAマラソン]

 6月に亡くなった父親を弔おうと、子どもたち4人でNAHAマラソンに出場する家族がいる。おいやめいも加わり、総勢10人に。「みんなで仲良く走るから、見守っていてね」。天国の父に家族の絆を見せようと張り切っている。(社会部・塩入雄一郎)

 豊見城市の金城勉さん(享年68)は、優しくてプラス思考で楽天的。子どもの行事には必ず参加する子煩悩な人だった。

 長年持病と闘ってきたが、2年前に入院。新型コロナ禍でオンラインや窓越しでの面会しかできなかった。

 勉さんが長女のりささん(25)に送った最期の言葉は「お・め・で・と・う」。りささんの誕生日を祝おうと声を振り絞った。その約1カ月後の6月1日に亡くなった。

 通夜、葬儀に飾る写真を親族で選んでいた時、1991年のNAHAマラソンで走る若き父の姿が出てきた。身内が亡くなって落ち込む家族を励まそうと、勉さんが「弔い走」を提案し、みんなで走ったという。母の好美さん(62)はNAHAマラソンに十数回参加していたが、父の参加はこれきり。運動が苦手だったはずの父の意外なエピソードだった。

 「俺らも走ってみる?」。この話を聞いた長男の瑛(えい)さん(30)=南風原町=が提案し、双子の次男の慎(しん)さん(30)=豊見城市、三男の奨(しょう)さん(29)=南風原町=も「やるか」。通夜に来ていたおい、めいの6人も賛同した。

 半年間、休みにはきょうだいで連絡を取って一緒に練習した。親族で顔を合わせる機会も増え、出場するメンバー以外も当日は応援に駆け付けてくれるという。「みんなで集まれるようになったのも父のおかげかな」。りささんはそう考えている。

 マラソン当日の目標は「楽しく走ること」だ。りささんは「父が安心できるように笑顔で。父も応援してくれると思います」と語った。

金城勉さんを弔おうと、NAHAマラソンに参加する子どもたちや親族(金城りささん提供)

© 株式会社沖縄タイムス社