J1復帰の東京ヴェルディ!J2時代にユースから日本代表へ輩出した「最強の5人」

J1昇格プレーオフ決勝で清水エスパルスを退け、16年ぶりのJ1復帰を決めた東京ヴェルディ。

チームをけん引したキャプテン森田晃樹のように、名門ヴェルディはJ2へ降格してからも才能あふれる選手を数多く輩出してきた。

そこで、J2時代の東京ヴェルディにおいて、ユースからトップチームへ昇格し、日本代表にまでのぼり詰めた5名の選手を紹介する。

なお、A代表歴がEAFF E-1選手権のみの選手は今回除いている。

小林祐希

1992年4月24日生まれ

日本代表:8試合1ゴール

トップ昇格した2011シーズン、いきなり34試合に出場し、2年目には背番号10とともにキャプテンも任された左利きの鬼才。

本田圭佑を彷彿とさせる物怖じしない発言で知られ、柔らかなタッチでボールをコントロールし、一発のパスで決定的なチャンスを作り出す司令塔タイプの選手だった。

メンタル面が成長したジュビロ磐田時代の2016年、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の日本代表へ初招集。その後はオランダやベルギー、韓国などでプレーした。

今季から北海道コンサドーレ札幌に所属。ちなみに磐田で小林裕紀、ヴィッセル神戸で小林祐希と、同じ「こばやし ゆうき」がチームメイトになっている。

中島翔哉

1994年8月23日生まれ

日本代表:19試合5ゴール

本日行われたJ1最終節において、浦和レッズ加入後初ゴールを記録した中島翔哉。

高校3年生だった2012年10月4日に東京ヴェルディとプロ契約を結び、その17日後のJ2栃木SC戦では、Jリーグ史上最年少の18歳59日でハットトリックを達成した。

その後FC東京、カターレ富山を経て、ポルトガルの地で才能を爆発させ、一時は日本代表の10番を背負うほどの選手に。中島の創造性豊かなプレーは森保ジャパン初期の“華”だった。

しかし、2019年2月のアル・ドゥハイル電撃移籍からキャリアは暗転。ポルトガルの名門ポルトでもうまくいかず、欧州や中東を流浪したのち、浦和で再起を図っている。

安西幸輝

1995年5月31日生まれ

日本代表:5試合0ゴール

安西幸輝もまたプロ1年目の2014シーズンから41試合に出場した強烈なタレントだ。

ユース時代から攻撃的なサイドバックとして鳴らし、プロでも左右のサイドバックはもちろん、ウィングバックやウィング、時に攻撃的MFと様々なポジションで持ち味を発揮した。

在籍最終年となった2017シーズンは、ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督のもと「戦術:安西幸輝」と言っても過言ではないほどのパフォーマンスを披露。チームが5位に入る原動力となった。

2018年に鹿島アントラーズへ移籍。ポルティモネンセを経て帰還した2021シーズンからは、内田篤人がつけていた背番号2を引き継いでいる。

畠中槙之輔

1995年8月25日生まれ

日本代表:10試合0ゴール

続いては安西と同期の畠中槙之輔。この世代は他に「高木三兄弟」の三男・高木大輔や澤井直人などがいた。

畠中はプロ3年目の2016シーズン、期限付き移籍したFC町田ゼルビアで浮上のきっかけを掴み、復帰したヴェルディでレギュラーを獲得。2018年8月に現所属の横浜F・マリノスへ移籍している。

翌2019シーズンにはリーグ戦全34試合に出場。僚友チアゴ・マルチンスとともにハイラインを支え、15年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。

日本代表としては、昨年のEAFF E-1選手権で谷口彰悟とセンターバックコンビを組み、4大会ぶり2度目の優勝を成し遂げている。

三竿健斗

1996年4月16日生まれ

日本代表:6試合0ゴール

最後は三竿健斗。2015年にトップ昇格すると、いきなり中盤の大黒柱となり39試合に出場。中盤の底で見せる、18歳とは思えない落ち着き払ったプレーはシャビ・アロンソにも例えられた。

プロ2年目に早くも鹿島アントラーズへ引き抜かれ、Jリーグ屈指の強豪でも徐々にポジションを確立していった。

2017年12月のEAFF E-1選手権で日本代表にデビュー。翌年のロシアワールドカップも26名の最終候補メンバーに入ったが、残念ながら本大会出場は逃している。

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鹿島との契約が満了になった2022年12月、ポルトガル1部のサンタ・クララへ加入。今年夏にベルギー1部のルーヴェンへ移籍した。

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