百貨店の「今」

 大正期、デパートの売り場は畳敷きだったらしい。昭和に入ると、佐世保市の田中丸デパートは靴を履いて店内を回れるようになり、客は履物を店に預けることもなくなった▲17年前、佐世保玉屋の出発点となる商店の開業から200年という節目の年に、その百貨店の歴史を辿る連載記事を書いた。参考にした「佐世保玉屋50年小史」には昭和初期、成人女性の間で〈アッパッパーと呼ばれる簡単服が流行〉とある▲なるほど、和服から洋服へと装いが変わり、靴履きで店内を巡るようになったらしい。時代は進んで1960年代、佐世保玉屋の屋上には回転式の展望台ができた▲遊具を屋上にずらりと備え、百貨店は娯楽施設でもあった。さらに大きく時代は移り、曲がり角に立つ地方の百貨店の「今」を先日の経済面で伝えていた。百貨店が“消滅”した県もあるらしい▲影もあれば光明もある。訪日客の回復の波が地方の百貨店に及ぶ可能性もあり、地域とのつながりを重んじれば、ずっと存続できると専門家はみる▲先に引いた「50年小史」の最後にこうある。〈実用衣料や日用品の大半はより安く、より手軽になり(中略)消費傾向はモノ中心主義から経験中心主義に変わっている。変化する需要に応じていかねば〉…。半世紀以上も前の予見は今に通じる。(徹)

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