現役引退の小野伸二、脳裏に焼き付く「5つのユニフォーム」

9月27日の自身44歳の誕生日に今季限りでの現役引退を発表し、12月3日の浦和レッズ戦を最後にピッチを去った小野伸二。

誰もが認める稀代の天才プレーヤーは26年のキャリアで様々なクラブを渡り歩いた。

ここでは、その中から脳裏に焼き付く最高の「5つのユニフォーム姿」をご紹介しよう。

フェイエノールト

フェイエノールト 2005-06 Kappa ホーム ユニフォーム

小野伸二のキャリアのハイライトの一つは間違いなくフェイエノールト時代だろう。

浦和レッズを離れて2001-02シーズンからオランダの名門フェイエノールトの一員に。持ち前のテクニックを武器に1年目からレギュラーに定着し、2002年5月にはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)優勝を成し遂げている。

在籍時代のフェイエノールトのユニフォームはどれも格好よいのだが、欧州を制覇した01-02シーズンのユニフォームが一番印象深い。

26文字も使う読みづらい胸スポンサーロゴ「Stad Rotterdam Verzekeringen」は、地元ロッテルダムの保険会社。

日本代表

日本代表 2002 adidas ホーム ユニフォーム

小野のキャリアにおいて日本代表は全てが輝かしいものではなかったかもしれないが、準優勝した1999年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)と2002年の日韓ワールドカップは、日の丸を付けた小野の方が躍動する姿が脳裏に浮かぶ。

日韓W杯ではグループステージと決勝トーナメント1回戦のトルコ戦の全試合でスタメン出場。GS3戦目のチュニジア戦とベスト16トルコ戦はフル出場している。

当時のユニフォームは比較的シンプルなデザイン。赤いパイピングは富士山のアウトラインをイメージしたものだ。W杯は無得点に終わったが、このユニフォームを着た10月のジャマイカ戦で2002年唯一の代表ゴールを挙げている。

浦和レッズ

浦和レッズ 2006 Nike ホーム ユニフォーム

約4年半のオランダ生活を終えて2006年1月に小野は浦和レッズへ復帰。フェイエノールトへ旅立った時はPuma製だった古巣のユニフォームはNike製へと変わっていた。

このユニフォームを着た復帰1年目の小野はクラブ初のJ1優勝と天皇杯優勝の2冠に貢献する。浦和のユニフォームを語る上で絶対に欠かせない一着だ。

基本的にはNikeが契約する海外主要クラブチームと同じスタイルで、首周りに特徴があるデザイン。胸スポンサーは通信会社「vodafone」だった。

清水エスパルス

清水エスパルス 2011 Puma アウェイ ユニフォーム

2008年1月に再び浦和を離れドイツ・ブンデスリーガのボーフムへ移籍した小野だが、2010年1月に2度目のJリーグ復帰を果たす。移籍先は故郷である静岡県の名門・清水エスパルスだった。

移籍2年目はキャプテンに就任。Jリーグでは6得点、公式戦全30試合では8得点を記録し、清水在籍時で最も多く得点したシーズンとなった。

胸元の斜めラインが印象的な当時のユニフォームはPumaの世界共通テンプレートで、トッテナム・ホットスパーなども使用。オレンジのホームも格好よいが、よりスタイリッシュなアウェイも魅力的だった。

北海道コンサドーレ札幌

北海道コンサドーレ札幌 2014 Kappa ホーム ユニフォーム

2012年9月にオーストラリアのウェスタンシドニー・ワンダラーズへ移籍した小野は、2014年1月に3度目のJリーグ復帰。北海道コンサドーレ札幌で44番という大きな番号を背負った。

その札幌には、途中1年半ほどのFC琉球時代を挟んで2023年まで在籍。同年12月3日に行われた古巣・浦和レッズとのシーズン最終戦を最後にスパイクを脱ぎ、26年間の現役生活に別れを告げた。

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札幌時代のユニフォームは名作揃いなのだが、1年目に着た2014モデルは近年のKappaでは珍しい襟付き。デザインは異なるものの、どことなくフェイエノールト1年目のユニフォームを想起させた。

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