大友宗麟から「村上海賊」への手紙を発見 毛利を“裏切った”海賊に謝意 戦国の瀬戸内海をしたたかに生き抜いた人々のドラマ  

九州地方を治めた戦国武将大友宗麟が、村上海賊に宛てた書状が見つかったと、広島県の三原市教育委員会が発表しました。

書状は大友宗麟から、瀬戸内海の海運を支配していた村上海賊のうち、村上武吉を頭領とする「能島村上家」に宛てたものです。およそ450年前に書かれたとみられています。

「裏切り」の意味を示す「現形(げんぎょう)」の文字が記されています。能島村上家が関係の深かった毛利・小早川家を裏切り、岡山県と香川県に挟まれた「塩飽諸島」で有利に働いたことに、宗麟が感謝の意を伝えています。

調査に関わった県立広島大学の秋山伸隆名誉教授によりますと、北九州を巡って大友氏と毛利氏が争い、能島村上家が撤退した毛利氏の勢力が衰えると判断したことが大友側についた理由と考えられるといいます。

能島村上家が塩飽諸島でどのような働きがあったか分かってはいませんが、瀬戸内海の支配力を維持するために、「強い者に与する」必要があったようです。

書状は、およそ30年前に市民が山口県で何らかの形で手に入れ、他の近世文書と一緒に三原市に寄贈されていました。

三原市教育委員会・荻野愛子学芸員
「村上海賊というと、海の民でしたたかなというイメージがあるんですが、生き抜くために懸命であったというその姿も改めて見えるのではないか」

書状は2024年2月10日から三原市民ギャラリーでの企画展で公開されるということです。

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