かつてマラソンの魅力にとりつかれ、膝を壊して走れなくなるまでのめり込んだ元消防士の男性が、社交ダンスに新たな生きがいを見いだしている。がむしゃらに自分を追い込む「スポ根」で生きてきたけれど、それだけではない世界を知り「年を取っても、故障をしても、スポーツは続けられる。やればできる」と熱く語る。(吉田敦史)
兵庫県西宮市越木岩公民館で館長を務める西岡克美(かつみ)さん(66)=同県稲美町。同市生まれで、小学3年から中学までは野球、高校では一人で筋力トレーニングに打ち込んだ。当時ボディービルダーだった俳優アーノルド・シュワルツェネッガーさんに憧れた。
1976年、同市消防局に入庁。消防学校で半年間訓練を積んだ後、同消防局瓦木分室に配属され、救助の道へ。高所に張った20メートルの綱を往復する速さを競う「ロープブリッジ渡過」の選手として全国大会に出場するなど活躍した。
マラソンを始めたのは30代。鍛錬のため、勤務する消防署まで電車で通う途中、あえて一駅手前で降りて走る生活を十数年間続けた。宿直明けには稲美町の自宅まで約50キロを走って帰ることもあった。
次第に膝が痛み始めたが「ブレーキが利かなかった。マラソン依存症だった」。40代半ばからは2週間に1回、膝にヒアルロン酸を注入する治療を繰り返して走り続けた。50歳を迎える頃には「電流のような痛み」に耐えきれなくなり、とうとう走るのをやめた。
「ほかにどんなスポーツができるんだろう」。頭に浮かんだのが、社交ダンス教室を舞台にした映画「Shall we ダンス?」だった。主演の役所広司さんが矯正ギプスを装着してクイックステップを踏む姿に感動した。「自分も軽やかに踊ってみたい」。加古川市にある教室の扉をたたいた。
そこで出会ったのが、現パートナーの古平玲子さん(69)=同県加古川市。教室の中では断トツにうまかったという。別の教室へ移り、ペアを組むことになった。
ただ、長年マラソンで膝を酷使した西岡さんには、大きな弱点があった。変形性膝関節症によるO脚だ。指導者からは「(膝の間に)ドッジボールが入るようなO脚。競技会に出ても見込みがない」とばっさり切られた。
始めたからにはうまくなりたい。意を決してスポーツ専門の医院へ行き、手術することに。2018年12月に右膝、半年後に左膝に人工関節を入れた。つらいリハビリに耐え、回復後は徐々に成績が上がっていった。
人一倍頑張りたくなる性格だが、1人で練習すると「変な癖がついている」と古平さんに怒られた。社交ダンスはペアで一糸乱れぬ美しさを追い求める競技で「根性じゃないんだ」と思い知らされた。
競技会で70歳を超える熟練ペアの男性に「いつも上位でうらやましいです」と声をかけると、こう返ってきた。「この年になると成績よりもいかに楽しく踊れるか、それだけですわ」。西岡さんは「スポ根で体を酷使してきた自分を恥じました」と苦笑する。
現在は西日本ボールルームダンス連盟(JBDF)B級、日本ダンススポーツ連盟(JDSF)A級。伸び悩んでいるというが、息長く続けていくつもりだ。