横浜F・マリノスの次期監督?キューウェルと日本代表を撃破した「2006年W杯のオーストラリア黄金世代」の現在

現在横浜F・マリノスの新監督に就任するのではないかと言われているハリー・キューウェル氏。

現役時代は鋭いドリブルを得意とした左利きのウイングとして若手時代からイングランドで活躍も、度重なる怪我に苦しめられた悲運の天才だった。

オーストラリア代表の黄金世代メンバーでもあり、2006年のワールドカップでは日本代表を相手に劇的な逆転勝利をあげたことでも有名である。

今回は、その2006年のワールドカップの日本代表戦でスタメン出場したオーストラリア代表の11名を振り返る。もちろん一人はハリー・キューウェルなのでその他の10名をご紹介するぞ。

GK:マーク・シュウォーツァー

当時の所属クラブ:ミドルスブラ

現在:解説者、コラムニスト

オーストラリアの歴史を作った大型ゴールキーパー。ミドルズブラで11シーズンに渡って活躍し、その後フラムでも長くプレー。40代になってからもチェルシーとレスター・シティで頼れるサブとしてベテランの役割を果たした。

現在は解説者やコラムニストとして活躍中。息子のジュリアンはインドネシアのアレマFCでプレーしているゴールキーパーで、母親の出身地であるフィリピン代表にも選出されている。

CB:クレイグ・ムーア

当時の所属クラブ:ニューカッスル・ユナイテッド

現在:解説者、フロント業

冷静なプレーとハードなタックルで知られたセンターバック。オーストラリア国立スポーツ研究所を卒業してからスコットランドのグラスゴー・レンジャーズに移籍し、ヨーロッパでプロデビューした。オーストラリア代表ではキャプテンも務め、2回のワールドカップに出場。

2011年に現役引退後は指導者ではなくフロント業や代理人として活動しており、アンジェ・ポステコグルーがオーストラリア代表監督を務めていたときにアドバイザーとして支えていた。現在は主に解説者。

CB:ルーカス・ニール

当時の所属クラブ:ブラックバーン・ローヴァーズ

現在:企業のプロジェクトマネージャー

オーストラリア代表伝説のキャプテン。最終ラインならどこでもこなす器用さと、圧倒的な闘争心と、そして相手を壊すことも厭わないハードなタックルを武器とした。2013年には少しだけ大宮アルディージャでもプレーしたが、怪我もあってほとんど活躍できず残念な4ヶ月になった。

引退後は2016年に破産宣告を受け、さらにその手続中に資金を意図的に隠していたとして訴えられたりもした。ほぼ無一文の状況になったが裁判では無罪を勝ち取っており、現在は地元シドニーで女子チームのコーチをしながら企業のプロジェクトマネージャーをしているとのこと。

CB:スコット・チッパーフィールド

当時の所属クラブ:バーゼル

現在:指導者

オーストラリアとバーゼルで一時代を築いた左サイドバック。センターバックもこなせる体格と守備力を備えつつ、攻撃でも貢献できるという貴重な選手であった。

引退したあとはユナイテッド・チューリッヒやルツェルン女子でコーチや監督を務め、2018年に帰国してイラワラ・スティングレイズで指導していた。ただ今年は家庭内暴力で逮捕されるという事件を起こしており、現在裁判中。

息子のリアム・チッパーフィールドはスイスで活動するプロサッカー選手で、今季バーゼルからFCシオンへと移籍している。ちなみに息子は右利きの攻撃的なボランチ。

MF:ルーク・ウィルクシャー

当時の所属クラブ:ブリストル・シティ

現在:オーストラリアU-20代表アシスタントコーチ

この2006年のワールドカップでのプレーが評価され、大会後にトゥウェンテへと移籍するウィルクシャー。様々なポジションをこなせるオーストラリアらしいMFとして長く活躍した。

2018年にナショナル・プレミアリーグのウーロンゴン・ウルヴズで引退し、そのまま監督に就任。その後セントラルコースト・マリナーズのアカデミーを指導したあと、オーストラリアU-20代表のアシスタントコーチに就任している。

MF:ブレット・エマートン

当時の所属クラブ:ブラックバーン・ローヴァーズ

現在:不動産投資家

フェイエノールト時代には小野伸二とともにプレーしたことで知られるエマートン。本職はサイドバックながら、タフでエネルギッシュなプレーでボランチやサイドアタッカーとしてもプレーし、幅広い活躍を見せた。

現役時代から不動産の投資で多くの収益を得ており、引退してからもオーストラリアで実業家として活動しているとのこと。

MF:ヴィンチェンツォ・グレッラ

当時の所属クラブ:パルマ

現在:カターニア副会長兼CEO

イタリアにルーツを持っていた守備的MF。オーストラリア国立スポーツ研究所を経てイタリアに渡り、エンポリ、パルマ、トリノでプレーした。地味なプレーができるボランチとして知られ、パルマ時代の同僚でもあったマーク・ブレシアーノとは少年時代からの親友だったという。

ちなみにこの2006年のワールドカップでは唯一オーストラリアからベストイレブンのサブに入っている。また2007年のアジアカップ準決勝では高原直泰との接触で退場してしまったことでも有名。現在はカターニアの副会長兼CEO。

MF:マーク・ブレシアーノ

当時の所属クラブ:パルマ

現在:カターニア取締役

ヴィンチェンツォ・グレッラの親友マーク・ブレシアーノもこの試合で出場していた一人。パルマでは中田英寿とチームメイトだったことでも有名で、スキンヘッドのルックスと中盤ならどこでもこなす器用さで知られた。

引退後はオーストラリアサッカー連盟でスタッフとして働いていたが、親友の誘いでカターニアの取締役に就任。その他にも大麻栽培のビジネスを行っているという。

MF:ジェイソン・チュリナ

当時の所属クラブ:PSVアイントホーフェン

現在:ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ アカデミー統括コーチ

サッカー選手であった父ブランコ・チュリナが監督を務めていたシドニー・ユナイテッドでキャリアを始め、オランダで活躍したジェイソン・チュリナ。中盤と両サイドバックをすべてこなす知的なユーティリティプレーヤーで、スタイルはあまりにも地味ながら各クラブでとても重宝された。

引退後は指導者となり、学生サッカーでコーチを務めたり、、シドニー・ユナイテッドの監督を務めたりしていた。今夏からはウェスタン・シドニー・ワンダラーズのアカデミーを統括する役割となっている。

FW:マーク・ヴィドゥカ

当時の所属クラブ:ミドルズブラ

現在:コーヒーショップ経営

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日本人としてはジョン・アロイージやティム・ケイヒルにやられた印象が強いが、先発したのは「重戦車」マーク・ヴィドゥカだった。クロアチアにルーツを持つパワフルなストライカーで、ルカ・モドリッチとは従兄弟の関係である。

アキレス腱の怪我、そして家族との時間を過ごしたいとして34歳で現役引退。その後は妻とともにクロアチアへと移住し、ザグレブでコーヒーショップを開いている。性格的にもともと静かな生活が好きで、コーヒーを淹れることが趣味だったという。

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