今年限りで現役を引退することになった小野伸二。ヨーロッパではフェイエノールトとボーフム、オーストラリアではウェスタン・シドニー・ワンダラーズでプレーした。
そこで今回は小野伸二とともに海外でプレーしていたミッドフィルダーのなかで印象深い6名をご紹介する。なお、FWに近いウインガーはできるだけ除いている。
ポール・ボスフェルト
小野伸二とともにプレーしたクラブ:フェイエノールト
国籍:オランダ
現在:ゴー・アヘッド・イーグルス ディレクター
フェイエノールトで2003年まで中心的な存在となっていた守備的MF。小野伸二とは中盤で重要なコンビを組んでいた。オランダ代表としても24試合に出場した名ボランチである。ハードタックルを得意とし、献身的なプレーで信頼を受けた。
2003年にフェイエノールトの退団したあとはマンチェスター・シティへと移籍し、2年後にオランダへ戻ってヘーレンフェーンで現役引退。その後は指導者やディレクターとして活動しており、現在はゴー・アヘッド・イーグルスのテクニカルディレクターを務めている。
パトリック・パーウェ
小野伸二とともにプレーしたクラブ:フェイエノールト
国籍:オランダ
現在:庭師
1998年から2006年まで長くフェイエノールトでプレーしたレジェンド。元々はセンターバックだったことから複数のポジションで問題なくプレーできる応用力を持っていた信頼性の高い選手で、オランダ代表でも5試合に出場している。
2011年に現役引退したあとは指導者になってPSVのユースで指導していたが、その後趣味でもあった庭師の仕事に転身。現在はガーデニングや公園の整備などで活躍している。
トーマス・ブッフェル
小野伸二とともにプレーしたクラブ:フェイエノールト
国籍:ベルギー
ベルギー人選手であるが、若くしてオランダに渡ってフェイエノールトのアカデミーで育った選手。非常に高い得点能力を持ったミッドフィルダーで、2002-03には18ゴール、次年度には15ゴールを決めている。
2018-19シーズンにズルテ・ワレヘムで現役を引退したあとは指導者に転身。ベルギーU-19代表のアシスタントコーチとしてキャリアをスタートさせ、さらにセルクル・ブルッヘでのアシスタントコーチも務めたが、ライセンス取得の研修で兼任が不可能になったために後者は辞任している。
なお、ステファニー・デ・ブイセルという女性と2016年に結婚したが、その1年後に結腸がんで妻を亡くすという悲劇を経験している。
ブレット・エマートン
小野伸二とともにプレーしたクラブ:フェイエノールト
国籍:オーストラリア
現在:マッカーサー・ラムズ U-13監督
ディフェンダー登録ではあったが、どちらかといえば攻撃面での印象が強いブレット・エマートン。2000年にシドニー・オリンピックからフェイエノールトに加入し、スピードとスタミナを生かしてパワフルなプレーをして注目された。サイドバックよりもウイングで使われていた印象が強い。
2003年夏にブラックバーン・ローヴァーズに移籍してからはプレミアリーグでも活躍。2011年にシドニーFCへと移籍して帰国したが、膝の怪我のために2014年で現役引退。現在はマッカーサー・ラムズというクラブのU-13で監督を務めている。
イルカイ・ギュンドアン
小野伸二とともにプレーしたクラブ:ボーフム
国籍:ドイツ
現在:バルセロナ
2005年からボーフムの下部組織に所属していたイルカイ・ギュンドアン。2008年にトップチームへと昇格したが、主戦場がBチームであったことからブンデスリーガでプレーすることはなかった。
しかしそれからニュルンベルクを経て大ブレイクし、ボルシア・ドルトムントで香川真司らとともに活躍。そしてマンチェスター・シティで世界の頂点を極め、今季バルセロナへと移籍している。
アーロン・ムーイ
小野伸二とともにプレーしたクラブ:ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ
国籍:オーストラリア
現在:引退
「天才」小野伸二とともに戦った名ストライカー。ベスト選手を選んでみた!
2012年にセント・ミレンからウェスタン・シドニー・ワンダラーズに加入し、小野伸二とともに中盤のコンビを組んだアーロン・ムーイ。同じスキンヘッドのルックス、近いポジション、両足が使える司令塔のプレースタイル…であったため見分けが非常に困難であったが、それもあってか創設間もないクラブを頂点に押し上げる名パートナーになった。
メルボルン・シティとマンチェスター・シティを経て移籍したハダーズフィールド・タウンで活躍し、それからブライトンでもプレー。イングランド・プレミアリーグでも力を発揮した。今夏セルティックとの契約を残しながら現役を引退。