「フロム・レフト・トゥ・ライト」(1969~70年、MGM Records) 幻想的な美しさと安らぎ 平戸祐介のJAZZ COMBO・33

「フロム・レフト・トゥ・ライト」のジャケット写真

 師走に入りました。相変わらずバタバタと過ごしておりますが、美しい音楽に耳を傾ける時間は必ず持ち続けたいと思うこの頃です。2023年最後を飾る1枚はジャズの枠を越え、たくさんの方々に聴いていただきたい作品です。耽美(たんび)的かつ叙情性豊かなピアニスト、ビル・エヴァンスが1969年から70年にかけて録音したアルバム「フロム・レフト・トゥ・ライト」をご紹介します。
 当時のジャズ界はフリージャズ、電化ジャズ(ジャズ・フュージョン)が猛威を振るっていた時代。アコースティック・ピアノだけで正統派なジャズをクリエートし続けていたエヴァンスには決して居心地のよい時期ではありませんでした。自身の音楽に変化が必要か、それとも現行のまま突き進むか。岐路に立たされた時期でもありました。
 そんな中、熟考を重ねて作られたのがこの盤です。エヴァンスは自分自身の長所を客観的に理解していて、アルバム全編に優しく幸せにあふれる音が散りばめられています。時代性を配慮したのか、自身が率先したのかは謎ですが、名機フェンダー・ローズに手を染めています。
 しかしこれが出色で、素晴らしいプレーを連発。優しいピアノタッチを浮かび上がらせています。アレンジャーのマイケル・レナードが指揮を執り、オーケストラとストリングスを配し全体がゴージャスに。エヴァンスの叙情性と相まって、見事なまでにジャズを越えたサウンドに仕上がりました。特に4曲目の「Soiree」、9曲目の「Children’s Play Song」はもう、童謡を思わせる曲調。お子さまのいるご家庭ではぜひ聞かせてほしいほどです。
 ただ、激しく燃え上がり緊張感あふれるインタープレーは影を潜めているため、エヴァンスファンには少々物足りないかもしれません。「聞き応え」という点では満足できない内容かもしれませんが、それを補って余りあるほど幻想的な美しさと安らぎに満ちています。長年の伴侶となるベースのエディ・ゴメス、ドラムのマーティ・モレルが脇を固め、新境地を切り開くエヴァンスをしっかりサポートしています。
 人に優しくなれること、すなわち自分自身が心の余裕を持つこと。そういう気持ちが一番必要とされる師走でもあります。この盤を聴き、心清らかに年を越す。そして来年も必ず良い年になる-。前向きな気持ちにさせてくれる爽快な1枚です。(ジャズピアニスト、長崎市出身)

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