「大きいステテコを履いてズボン…はとても考えられない」弁護側“犯行着衣の矛盾”突く 「5点の衣類」ついに公開【袴田事件再審公判ドキュメント④】

1966年、静岡県旧清水市(現静岡市清水区)で一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」で死刑が確定している袴田巖さん(87)の再審=やり直し裁判の4回目の公判が12月11日、静岡地方裁判所が開かれ、袴田さんを犯人としてきた最大の証拠「5点の衣類」の一部が法廷で公開されました。

【写真を見る】「大きいステテコを履いてズボン…はとても考えられない」弁護側“犯行着衣の矛盾”突く 「5点の衣類」ついに公開【袴田事件再審公判ドキュメント④】

11日午前8時半、裁判所に向かう姉のひで子さん(90)。浜松市中区の自宅前で、報道陣を前に次のように語りました。

<袴田巖さんの姉・ひで子さん(90)>
「すべからくもなく、ともかく『五点の衣類』をね、重要なことですので(弁護団に)反論してもらいたいと思っております」

こう言及した「5点の衣類」。袴田巖さんを半世紀近く獄中につないできた“重要な証拠”です。

<滝澤悠希キャスター>
「今回の公判のポイントは最大の争点『5点の衣類』が法廷で示されることです。疑惑の証拠に対してどんな主張が展開されるのか注目されます」

この裁判で重要証拠とされてきた「5点の衣類」。検察は事件から1年2か月後に現場のみそタンクから発見された血痕のついた衣類=「5点の衣類」について「5点の衣類は袴田さんの犯行着衣であり、事件後にみそタンクに隠されたもの」とあらためて主張しています。

この主張に反論する弁護側は「衣類は袴田さんのものでない」と証明する目的で、今回「5点の衣類」の一部を法廷に示しました。

11日の公判で公開されたのは、鉄紺色のズボンとステテコ、さらに5点の衣類を入れていたという麻袋です。事件発生から1年2か月後、一度は捜索し尽くしたはずの現場のみそタンクの中から見つかった「5点の衣類」。ズボンもステテコも発見当初から疑惑に満ちた“証拠”でした。

袴田さんが鉄紺色のズボンを実際に履くと小さくて、太ももまでしか履けませんでしたが、みそに浸かったことでズボンが縮んだとして、袴田さんの無実の訴えは長年、退けられてきました。ステテコについては、ズボンの下に履いているはずなのに、ズボンよりも血の痕が広範囲かつ、鮮明に付着していました。

<滝澤悠希キャスター>
「5点の衣類のうち、ズボンとステテコが法廷に出されました。ズボンの上にステテコを重ねて、そのサイズ感の違いを強調していました。そして、裁判官がその様子を席を立って眺める姿も見られました」

11日の公判も終盤を迎えた午後3時半前、古びた段ボールの中から、何重にも袋に収められていた「5点の衣類」が姿を現しました。劣化が激しく、破損の恐れがあるとして、テーブルの上に置かれたズボンとステテコ。弁護側が指摘したのは、ズボンの下に履くはずのステテコの方が大きいのは、おかしいという見た目でも分かる違和感でした。

<袴田事件弁護団 小川秀世弁護士>
Q.ズボンとステテコを法廷に示した理由は?
「ステテコはズボンより大きいくらい。そのステテコを履いて、ズボンを履くということはとても考えられないのではないか。残念ながら広げてというのが、テーブルの上で広げるくらいで終わってしまったので、はっきりと理解するまでは難しかったか」

<袴田さんの姉・ひで子さん(90)>
「何を言おうと、勝つ、勝つしかない。『5点の衣類』は初めて見た。テレビや新聞で見たことはあるが、初めて見ました、きょう。だけど、よく分からなかった。ズボンやステテコというのは分かるけど、古いものですからね」

さらに弁護側は、「5点の衣類」の生地の色に注目し、衣類が1年2か月もみそに漬かっていれば、色は変わるはずだと主張。そのうえで、「5点の衣類は犯行直後隠すことはありえない」「使用中のみそタンクに隠すことはあり得ない」などとして、5点の衣類は「発見直前に入れられたもので、ねつ造以外ありえない」と述べました。

“最大の証拠”とされてきた「5点の衣類」が法廷に出てきた際のインパクトは大きく、法廷内の視線が一挙に集まり、裁判所の職員もかなり慎重に扱っていて、やり直し裁判の“ギア”が一段上がった印象を受けました。今後、裁判は最大の争点である付着した血痕の色について議論が展開される予定です。

© 静岡放送株式会社