三鷹市に住んだ文豪・太宰治が愛したことでも知られる三鷹跨線橋。その94年の歴史に幕が降ろされました。老朽化による撤去を前に橋には、別れを惜しむ多くの人が押し寄せました。
JR三鷹駅から西に500メートルの場所にある三鷹跨線橋は、1929年に設置され、100年近くの長きにわたり、線路の北側と南側をつなぐ架け橋として、市民の暮らしを支えてきました。また、橋の上から電車の往来や車庫が望めるため、鉄道ファンや子どもたちの人気のスポットにもなっていました。
しかし…橋の老朽化に伴い、撤去が決定。12月10日の閉鎖を前に、この日は多くの人たちが橋を訪れていました。
「バイバイ。また会えるかなってどっかで。いっぱい会ってるから」
この橋は、晩年、三鷹市で暮らした昭和初期の文豪「太宰治が愛した橋」としても知られ、鉄道マニアだった太宰が何度も訪れていたと言われています。
「奈良から今日やって来ました。太宰治が中学高校の時に好きで」
なかには太宰治の装いで訪れた人も…「やっぱり悲しいですし、残ってほしいという気持ち」
地元の人も"パートナー”の小鳥とともに別れを惜しみます。「散歩のコースのひとつなので。跨線橋…無くなるぞ…しょうがないね…」
長年、夫婦や家族とともに眺めてきた橋からのこの光景も、きょうで見納めです。
「私ここに住んで50年ちょいになるから。孫と一緒にここで楽しくしたのも、もう孫たちも就職して大きくなっちゃって」「階段を踏みしめてました。懐かしいなーって思いで。寂しくなりますよね」
人と人とを結ぶ「架け橋」ともなってきた跨線橋。三鷹市は今後、JRと連携して橋の一部を保存する予定です。