“広島で初めて映画を上映” 大阪の若き商人を描く 発明王エジソンに直談判し映写機を日本に持ち込んだ男の物語 広島で舞台上演

きょうもわたしたちは各地のニュースや話題を「映像」でお届けしていますが、広島の人たちが初めて見た「映像」とはどんなものだったのでしょうか。それは、120年以上前のことです。広島で初めて映画を上映した大阪の若き商人を描いた舞台が、広島で上演されます。

戦前の広島の繁華街で、ひときわにぎやかになっているのは映画館です。

広島で最初に映画を上映したのが、大阪の若き商人・荒木和一(あらき・わいち)さん(1872年~1957年)です。

明治時代の1897年4月、現在の小網町(広島市中区)にあった芝居小屋で、ニューヨークの町並みやダンスなど、着色フィルムを使用した「カラー映像」がスクリーンに映し出されました。

「すごい行動力の人で、そしてやっぱり英語がとにかく日本一じゃないかってぐらい上手だったって」―。広島市に住む久保田良枝さんです。荒木和一さんの孫にあたります。

久保田さんが生まれた翌年、1957年に和一さんは他界したため、一度も会うことはなかったといいます。

和一さんの行動力が分かるエピソードがあります。エジソンがヴァイタスコープと呼ばれる映写機を世に送り出したと聞くと、日本に輸入するため、ニューヨークを訪れ、発明王エジソンに直談判しました。

荒木和一さんの孫 久保田良枝 さん
「『これがほしい』ってその人に会いに行く。世のため人のために、日本に持って帰りたいと思って、たくさんお金を払って買って帰るのは、すごいこと」

荒木和一さんの半生を描いた舞台「フェイドアウト」を広島で

商談を成立させた和一さんはその後もエジソンとの手紙のやりとりは続いていました。和一さんはエジソン社から▽蓄音機、▽映写機、▽エックス線装置の3つを輸入しました。

久保田さんの父・有三さんは、和一さんの功績から名付けられました。

久保田良枝 さん
「3つを買ったから、記念に “有三” って名前をつけたって」

こうした荒木和一さんの半生を描いたのが舞台「フェイドアウト」です。元新聞記者の 東龍造 さんが書き下ろした小説を原作に、エジソンの映写機を日本に持ち込んだ和一さんと、別の映写機を持ち込んだ京都の実業家との日本初の映画上映、そして興行をかけたバトルを描きます。

久保田良枝 さん
「2月に大阪で舞台を観たときにすごく感動して、これ絶対、広島でやりたいと思いました」

舞台は大阪で2度、上演されています。和一さんの孫・久保田良枝さんは「広島公演」の実現に向け市内で上演できる会場を探しました。久保田さんは、いまの時代だからこそ、この舞台を見てほしいと話します。

久保田良枝 さん
「祖父の生き方がものすごく伝わってきた。こういう生き方をした人が、明治時代にいたことを、今の人たちに伝えたい」

大阪の若き商人が広島に持ち込んだ映画。その後、戦前の広島には17の映画館が誕生し、今も市民の娯楽・文化として根付いています。

【公演情報】
12月16日(土)午後6時~、17日(日)午前11時~/午後3時~ 場所は広島YMCA国際文化センター2号館コンベンションホール(広島市中区)
問い合わせは(050-3699-3171)まで

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