「警察学校に体験入校してみない?」。先輩記者の提案に、軽い気持ちで答えてしまった。「行きます」と。だが、兵庫県の警察学校は「日本一厳しい」と噂されているらしい。芦屋の高級住宅街にたたずむ「教場(きょうじょう)」に11月下旬、おっかなびっくり足を踏み入れた。 (記事・小野坂海斗、撮影・小林良多)
■ホームルーム
「神戸新聞入社1年目の小野坂です。神戸市内で事件・事故の取材を担当しています」
午前9時、簡単な自己紹介で体験入校が始まった。クラスメートは高校を出たばかりの18歳から、社会人を経験した28歳までの22人。寮生活を送りながら、現場に出るために必要な知識や技術を学んでいる。
「警察官の父に憧れて」「電車で痴漢されたことが許せなくて」。志望動機はさまざまだが、みな姿勢良く、礼儀正しく、声も大きい。
対する記者は猫背で、生意気で、声が小さい。授業開始を前に、早くも不安が募った。
■1時間目「刑法」
静まりかえった教場に、当番を務める学生のノックが響いた。緊張感が一気に高まる。
俳優木村拓哉さん主演のテレビドラマで注目を集めた警察学校。そのタイトル通り、一般的な学校と同じ机、同じ椅子が並ぶ教室を、ここでは「教場」と呼ぶ。
各クラスで選ばれる当番は授業前、廊下に立って教官を出迎える慣習がある。教官が来たらドアをノックし、開けるのだ。
この日は一般的に違法とされる行為が、刑法のどの罪に該当するのかを考えた。例えば、「食い逃げ」。そもそも刑事事件なのか民事事件なのか。刑事だとしたら、刑法の何条の何項を適用できるのか。
「法律についての正しい知識がないと、誤認逮捕につながるからな」。教官の説明に、学生が真剣な表情で耳を傾ける。
今年の3月まで大学に通っていた記者。体を動かさない座学なら、何とか付いていける。「難なくクリア」と感じた手応えは、だがしかし、すぐに消え去る。
■2時間目「教練」
教場で濃紺の出動服に着替え、小走りで運動場に向かう。手渡されたのは、縦110センチ、横55センチ、重さ5キロの盾。暴動などに集団で立ち向かうための「教練」が始まった。
「遅れるな!」「何があっても耐えろ!」。実際の現場では、少しでも陣形を乱すと命に関わる。練習とはいえ、怒号のような厳しい言葉が飛び交う。
続いて、敷地内にある通称「根性坂」へ。ビル11階分の高低差を一気に駆け上がるという、「日本一厳しい」と評される由来でもある訓練だ。
小中高とサッカー部で鍛えた記者だったが、身長の半分以上もある盾の重さに耐えられない。普段、ペンしか握らない腕が悲鳴を上げる。
「あと少し、一緒に上り切りましょう!」。海上保安官から転身して学校で学ぶ杉岡勝磨さん(27)が励ましてくれるが、つらいものはつらい。後列から盾を、両側からは腕を支えてもらう3人がかりの介助を受けて、どうにか頂上にたどり着いた。
だが、休む暇はない。呼吸を整えながら坂を下り、再び挑むのだ。記者は1往復であえなくリタイア。一方、クラスメートは5往復を楽々とこなし「卒業までに10往復完走を目指します」と口をそろえる。
体力と気力の差を突きつけられた。
■3時間目「鑑識」
「急げ!」
警察学校の学生は、常に時間に追われている。小走りで食堂に向かい、クラス全員で昼食を食べると、休む間もなく午後の授業に臨む。
鑑識の実習は、一番興味があった科目だった。事件現場の取材で、汗だくになりながら証拠を集める鑑識の捜査員を何度も見ていたからだ。
教場で基本動作を学び、駐車場の車で実践する。犯人役の学生が残した指紋をアルミニウム粉末やはけを使って浮かび上がらせる。
記者は親指らしき指紋を見つけたが、はけで強くこすりすぎてしまい、うまくいかない。
「今は失敗しても構わん。でも、現場では一発勝負やからな」
教官の言葉が身に染みる。警察官の責任の重さをひしひしと感じた。
■4時間目「逮捕術」
武道場の窓の向こうで、太陽が傾き始めている。
体験取材の最後の関門、容疑者を取り押さえるための逮捕術の授業だ。警棒でたたく、突くなど何でもあり。失礼ながら、けんかにしか見えない。
剣道の防具を身につけ、練習用のソフト警棒を手に1対1の形式で戦う。記者の相手は、教官の西孝雄さん(48)だ。
これまでの23年間の人生で、人を殴ったことがない記者。必死にパンチを繰り出すが、びくともせず、何度もひっくり返された。
聞けば、西さんは若い頃、逮捕術に打ち込む「特練(特別訓練員)」だったという。2回りも若い学生との対戦でも、圧倒的な力で組み伏せていく。
「日々のしんどい訓練が命をかけた現場で生かされてるんやな」。汗でびしょぬれになった体が乾き始めた頃、長かった1日がようやく終わった。
■過酷さと重責の狭間で 体験入校を振り返って
私たちの安全は「日本一厳しい」学校生活を乗り越えた人の手で守られている-。実情を身をもって体験した記者だったが、過酷すぎるようにも感じた。実際、道半ばで警察学校を去っていく学生もいる。
その厳しさについて「根性坂」で励ましてくれた杉岡さんに尋ねてみた。
「現場で必要となる基礎を学び、根性をたたき直すためです」
重い責務を果たすためと前向きに受け止め、精進する姿は率直に格好いい。クラスメートの強い絆も、現場の連携できっと生かされるはずだ。だが、根性なしの記者にとっては…。
「記者を辞めて警察に来ませんか」。教官の西さんから繰り返し誘われたが、「無謀」の2文字がちらつき丁重にお断りした。でも、しばらく続いた全身の筋肉痛が、どこか心地よかったのも確かだ。