「震える手で撮影した」母親の胎内で被爆 原爆小頭症の被爆者たち 約3000枚の写真が新たに見つかる 原爆資料館に寄贈・保存活用へ

母親のおなかの中で被爆した “原爆小頭症” の人たちの写真が新たに大量に見つかり、原爆資料館(広島市)に寄贈されました。

寄贈された写真は、母親の胎内で被爆し、脳や体に重い障害を負って生まれた原爆小頭症の被爆者の57年前の写真です。当時、2人の学生カメラマンによって撮影されました。

重田雅彦 さん
「三十数枚を撮ったらフィルム交換」

撮影者の1人、広島市で写真館を営む 重田雅彦 さん(79)です。

重田雅彦 さん
「これが送ってきたフィルム」

これらのフィルムは、原爆小頭症の被爆者の撮影をした横浜市の 菅沼清美 さん(76)が保管していました。

2人は当時、東京写真大学の学生でした。2人は本を読んで初めて原爆小頭症のことを知りました。

重田雅彦 さん
「胎内にいた彼らがどうしてこういうことになったのか、原爆の脅威というか、今の世の中に伝えていきたいという気持ちが当時あった。重たいテーマで、手が震えるような、無我夢中で撮影した記憶…」

胎内被爆による小頭症は当時、原爆の放射線が原因だと認められていませんでした。また、家族も周囲の差別や偏見の目もあり、ほとんどがメディアの取材を固く拒んでいましたが、2人だけは特別に撮影を許されました。

重田雅彦 さん
「そっとしておいてほしい気持ちと、世に出て訴えたい、(原爆後障害と)認めてほしい、そういう気持ちがあって、わたしたちに任された経緯なんじゃないのか?と今は理解しています」

「寄り添って世界の片隅に生きている…胸に迫る気持ちで撮った」

わが子を抱いた原爆小頭症被爆者の家族の写真です。

重田雅彦 さん
「あんまり明るい話題がない中で、これはほっとする。わたしもうれしかったし…」

これらのフィルムの存在を知った、原爆小頭症被爆者とその家族でつくる「きのこ会」の事務局長がこのフィルムの保存を勧めました。

きのこ会 事務局長 平尾直政 さん
「わたしも見たことがない表情、すでに家もない、再び見ることができない状況を今のわたしたちに示してくれる、たいへん貴重な写真」

取材中、偶然、菅沼さんから重田さんに電話がかかってきました。

重田雅彦 さん
「今ね、取材を受けているのよ」

2人にとって特に思い入れのある写真があります。1966年に菅沼さんが撮影した、自宅にいる原爆小頭症の子どもと寝たまま顔を見せない母親の写真です。

菅沼清美 さん
「親子2人で寄り添って世界の片隅で生きているなって感じ…。胸に迫る気持ちで撮った。(写真は)第三者に見てもらえる形を希望しています」

「わたしたちの写真が役に立てば…」再び“伝える”ことを決意して

2人は一時期、きのこ会の事務局にも参加していました。今回、大量のフィルムが出てきたことで、重田さんが古い写真を整理していたところ、世に知られていない原爆小頭症の人たちを探し出したジャーナリストの古い取材メモが見つかりました。

このノートには、初めて原爆小頭症の親たちが集まったときのやりとりが克明に記されていました。

小頭児の親たち(取材ノートより)
『会はつくらないといけないですね。原爆の雲、きのこ雲からとって、きのこ会というのはどうでしょうか』
『いい名前ですよ』

重田雅彦 さん
「『子どもの(原爆後障害である)証明書がもらいたい。自分らが死んだら子どもはどうなるのか』―。いつも(親が)言われていた言葉なので印象的…。そう書いてあります」

重田雅彦 さん
「もう2~3枚撮ります」

重田さんは、5年ぶりに出席した、きのこ会の喜寿祝いや、今回のフィルムをきっかけに “伝える” ことを再び決意したそうです。

1966年から1971年までに撮影したおよそ3000枚分のフィルムを原爆資料館に寄贈しました。原爆資料館では今後、保存と活用に向けて作業を進めるということです。また、重田さんは、きのこ会と一緒に今後の展開も考えていくそうです。

重田雅彦 さん
「核兵器を廃絶するためにも彼らの存在はとても大きい。わたしたちの写真が役に立てば…」

◇ ◇ ◇

青山高治 キャスター
「きっと役に立つ貴重な写真の数々だと思います。学生カメラマンの2人だからこそ許された、2人だからこそ撮ることができた写真なんでしょうね」

コメンテーター 吉宗五十鈴 さん(「雪月風花」店主)
「20歳代ですごく悩みながら、葛藤しながら撮られたのではないかと思います。今の時代に見つかって、わたしたちが考えるきっかけになる、貴重な資料を残してくださった」

中根夕希 キャスター
「重田さんは、2012年に自身が撮影された5000枚の写真を原爆資料館に寄贈しています。そのとき、いったん一区切りがついたと思われたそうですが、今回、菅沼さんのところで新たに写真が見つかったことを受け、今後は原爆小頭症について伝えていくために写真展などで発信ができないかと考えているそうです」

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