目標の“大舞台”...任務やり切る 高見諒(佐野日大高ー東洋大) 2年連続Vアンカー 栃木県ランナーが振り返る箱根駅伝100回③

2年連続で総合優勝のゴールテープを切った東洋大の高見=2010年1月3日、東京・大手町

 東洋大の初優勝と連覇という節目にアンカーを務めました。ありがたい経験をさせてもらいましたね。

 初出場となった2年生の時の10区(23.1キロ)は、トップでたすきを受けて2位早大と1分26秒差。タイムをかせいでもらい落ち着いて走り出せました。不安もありましたが結果的に41秒差でゴール。何とか逃げ切れました。

 覚えているのは、走る前なのに沿道から「優勝おめでとう」という言葉をかけられたこと。レースが終わったようなムードが漂ってました。そんな中でモチベーションを保つことも、アンカーの難しさだと思いました。

 大会直前の12月に部員の不祥事がありました。出場できるのか不安でしたが、チームの士気が下がることはなくて。特に、当時1年生で箱根デビュー前だった柏原竜二(かしわばらりゅうじ)が「関係ないっすよ」と言っていたのを覚えています。山の神になる男はメンタルも強かったですね。

 そういう訳で胴上げもありませんでした。主将の釜石慶太(かまいしけいた)さんが大手町で整列して一礼にすると決めたらしいです。今でも東洋大の選手がゴール後に頭を下げるのを見ますが、この時からです。実は初優勝の時のゴールテープは自宅の押し入れにしまってあります。

 3年生の時は独走状態でたすきを受けて、2位駒大とは5分以上の差。けが明けでしたが、任務をやり切れば連覇できると確信できました。胴上げもあって、みんな心から喜んでいる雰囲気でした。

 4年生の時は故障ばかりで走れませんでした。副主将も任され、個性の強い後輩をまとめることにも悩んで。振り返ると2度走って優勝もできましたが、個人的には無難なタイムで区間順位も6位と7位。自分のピークを合わせられなかった悔しさはあります。

 中学生から長距離を続けてきて、箱根駅伝は大きな目標でした。親への感謝、恩返しになればいいなと。その意味ではやり切ったと言える4年間ですね。

 たかみ・りょう 1988年、小山市生まれ。佐野日大高1、2年時の全国高校駅伝に出場。東洋大2、3年時に箱根駅伝総合優勝。優勝チームのアンカーを2度務めたのは大会史上8人目だった。現在はスポーツ用品大手ミズノ社員。

高見諒

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