「せなあかんことおおすぎてしにそう」外来、救急、学会…過酷勤務の果て 自死の若き医師に何が起きたか

患者を診療する高島晨伍さん=2022年(遺族提供、画像の一部を加工しています)

 優しい医師になりたい-。使命感を持って患者に向き合った26歳の専攻医は、過酷な勤務に心身を削られ、自ら命を絶った。2024年4月から医師の働き方改革が始まるが、現場の医師は「忙しくて当たり前、体を壊しても仕方がない。上の世代ほどこの意識は根強く、働き方は変わらない」と嘆く。医師が疲弊すれば、医療の安全は揺らぐ。「命のとりで」を守るため何がなされるべきか。(竜門和諒)

 高島晨伍(しんご)さんは神戸大を卒業後、20年に甲南医療センター(神戸市東灘区)の研修医となった。22年4月に消化器内科の専攻医に採用され、診療業務と研修に取り組んでいたが、同年5月17日に神戸市内の自宅で自死した。

 西宮労働基準監督署は、亡くなる直近1カ月間の時間外労働は国の精神障害の労災認定基準(160時間)を超える207時間50分に及んだと算出。専攻医になったばかりにもかかわらず先輩と同等の業務量を負わされ、学会発表の準備も重なり、極度の長時間労働となってうつ病を発症したとし、労災認定した。

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 高島さんの生前を、証言でたどる。同年2月上旬に消化器内科で働き始めた当初から、午前7時台に出勤し、午後5時15分までの定時を大きく超えて働いた。同センターの元医師によると、同科の若手は特に忙しく、日中は外来や救急当番に追われ、病棟患者の診察や学会発表の準備もこなす。最終バスに乗れず、数カ月休めないこともあったという。

 高島さんは同じ科に同期がおらず、最年少だった。当初は周囲に不満を漏らしたが、4月ごろになると表情がかげり、自虐的な発言が増えた。大好きな歌手の曲を聴くことも、プロ野球をテレビ観戦することもなくなった。母の淳子さん(60)は「ポストに郵便物があふれ、ごみは捨てられずに家にたまるようになった」と振り返る。

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 自死の約1週間前には、淳子さんに「せなあかんことおおすぎてしにそう」「もうたおれる」とメールを送信。2日前には、淳子さんの車の中で「締め切りの学会資料ができてない。もう無理や」と、体をかがめて泣きじゃくった。

 帰宅しても、力が抜けたようにすぐにベッドへ。淳子さんは休職を勧めたが、「病院に戻れなくなる」と受け入れなかった。

 5月17日昼過ぎ、淳子さんの携帯にメールが届いた。「今朝変な気を起こしかけたけど、もう起こさんようにする」。慌てて家に駆け付けると、室内は真っ暗。寝室におらず、クローゼットに目をやると、そこに高島さんがいた。

 「うそでしょ。ちょっと待ってよ」。ほおや体は温かかったが、返事はなかった。この日は定時で退勤。死亡推定時刻は午後6時だった。

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 〈知らぬ間に一段ずつ階段を昇っていたみたい〉〈もっといい選択肢はあると思うけど選べなかった〉

 テーブルの上に置かれた遺書には、両親や同僚への謝罪と感謝がつづられていた。「社会的責務のある医師でも生身の人間。泣いて笑って大切に育てた、かけがえのない宝物」。淳子さんは声を絞り出した。

 高島さんが自己申告した4月の残業は30.5時間だった。これをもって、具英成(ぐえいせい)院長は今年8月の会見で「過重労働をさせた認識はない」と説明した。

 淳子さんは「晨伍は患者を救うために医師になったが、もうかなわない。病院は死に向き合ってほしい」と涙を拭う。西宮労基署は今月19日、労働基準法違反容疑で同センターの運営法人などを書類送検した。遺族は提訴も視野に入れる。

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