「みずいろの雨」が結んだ縁 八神純子さんが語る、故三浦徳子さん(青森・弘前出身)

「いつまでもラブソングが似合うシンガーでいたい」と話す八神さん=12月
在りし日の三浦徳子さん(1993年1月1日付東奥日報掲載)

 青森県弘前市出身の作詞家・三浦徳子(よしこ)さん(享年74)の死去が明らかになって1カ月あまり。数々のヒット曲を生み出した三浦さんにとっても出世作となった1978年の「みずいろの雨」で一躍スターダムにのし上がったシンガー・ソングライター八神純子さん(65)が東京都内で東奥日報のインタビューに応じた。「頼れる姉貴のような存在でした」と八神さん。三浦さんとの思い出を語った。

 三浦さんとはしばらくお会いできておらず、悲しいお別れとなってしまいました。

 三浦さんにはアルバム収録曲を含め全部で10曲以上の詞を書いてもらいました。中でも印象深い曲はやはり「みずいろの雨」です。お互いにとってヒット曲であり、私と三浦さんが結ばれた曲でもあります。そういった曲はなかなかないと思います。

 60年代後半から80年代半ばまで、当時音楽のプロを目指す若者の登竜門とされた「ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)」が行われていました。74年に私もそのコンテストに初めて出場し、78年1月にシングル「思い出は美しすぎて」でデビューしました。でも、2枚目のシングルが思うように売れず、次の曲が売れなければ地元の名古屋に帰るつもりでいました。

 周りから自分の声は「透明感のあるきれいな歌声」と言われていましたが、逆に自分はそれが嫌で「もっとハスキーな声だったら悲しい歌も似合うのに…」と感じていました。だから自分で歌うのではなく、曲を作って提供する側に転身しようかと思っていました。

 そんな時にできたのが「みずいろの雨」です。レコーディングの日はすでに決まっていて、スタジオに三浦さんの詞が届きました。その場ですぐ歌ってみたのですが、不自然さが全くなくてとてもしっくりきました。曲のメロディーと私の声にぴったりでした。

 「みずいろの雨」がヒットにつながった要因はいくつかあったと思います。その一つが当時放送されていたTBSの音楽番組「ザ・ベストテン」に取り上げられたことです。「今週のスポットライト」というコーナーで注目曲として紹介されたことで、その後すぐに待望のベストテン入りを果たしました。

 「みずいろの雨」がヒットした5年後くらいに、三浦さんと2人で食事をしたことがあります。その時、三浦さんに「純子ちゃん、レコーディングの時、曲の意味を分かって歌ってた?」と聞かれたことがあって。私は「たぶん今ほど分かっていなかったと思う」と素直に答えた記憶があります。2人きりで食事をしたのはそれが最初で最後でした。

 三浦さんは私が送ったデモテープをよく聴き込み、私の作るメロディーを大事にしてくれました。7枚目のシングル「パープルタウン~You Oughta Know By Now~」に「素晴らしい朝にhu hu hu」という歌詞があります。この部分が具体的な単語ではなく「hu hu hu」としたことに意味があったのだと今は思います。聴く人にその部分を想像させることができるからです。

 三浦さんはたばことサングラスが似合うかっこいい大人の女性。ミステリアスで、プライベートについては多くを語らない、雰囲気のある作詞家でした。

 「みずいろの雨」はコンサートで必ず歌います。三浦さんは私の中でとにかくかっこいい憧れの女性なんです。とても頼れる姉貴のような人でした。

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