パラリンピックは諦めない 矢巾出身・スキー高橋幸平選手

古里の体育館でトレーニングに励む高橋幸平選手。困難を乗り越え、世界への挑戦を続ける=矢巾町南矢幅

 苦しくとも、世界挑戦は諦めない―。アルペンスキーでパラリンピックに2度出場した岩手県矢巾町出身の高橋幸平選手(23)=千葉県松戸市=は2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ大会を目指し、練習に励む。春に日体大を卒業すると頼みの奨学金がなくなり、コーチや練習仲間もいない過酷な環境に激変。「競技を諦めようか」とも苦悩したが自己実現のため、そして後に続く選手たちのため、険しい道に希望のシュプールを描く。

 「こんな状況で、スキーをしていいのか」。卒業後も就職先が決まらず、自問自答の日々が続いた。学生時代は日本財団のパラアスリート奨学金制度に支えられ、活動費に悩んだことはなく、突きつけられた現実はあまりに厳しかった。

 脳性まひのため、生まれつき右半身に機能障害がある。矢巾東小3年でアルペン競技と出合った。盛岡農高2年で初の平昌(ピョンチャン)パラリンピック出場。昨年の北京大会では男子立位回転で日本勢最高12位に入った。

 3度目のパラリンピック出場には国際大会でポイントを重ねる必要があり、巨額の遠征費が要る。10月下旬に参加したフィンランド遠征費は約100万円。貯金を切り崩したが、もう一度行きたいとなると率直に「厳しい」。

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