浦和レッズ、「歴代最強の日本人選手」はこの5人!

創設から30年を迎えたJリーグ。これまで数多くのクラブがその優勝を争い、輝きを見せてきた。

今回はAFCチャンピオンズリーグ優勝3回という日本最高の記録を持つ浦和レッズを特集。これまで所属した中で歴代最強の日本人選手を5人選んだ。

福田正博

生年月日:1966年12月27日

「ミスターレッズ」と呼ばれた初代エース。前身である三菱重工業、三菱自動車でプレーしたあと、1992年に浦和レッズの発足を経験。ハンス・オフト監督の下で中心的なアタッカーになり、その圧倒的なスピードとドリブル、そして得点力で活躍した。

1995年のJリーグでは50試合もの試合に出場して32ゴールを奪取し、得点王に輝く。またJリーグベストイレブンやAFC月間最優秀選手などのタイトルも手にするなど、個人賞も数多く獲得している。

小野伸二

生年月日:1979年9月27日

1998年に清水商業高校から浦和レッズに加入した小野伸二。高校を卒業してから3ヶ月後にワールドカップ・フランス大会に出場し、Jリーグでも初年度から見事な活躍を見せた。

2001に移籍したフェイエノールトでもUEFAカップを優勝するなど活躍したが、怪我に泣かされたこともあって2006年に復帰。2年間再び浦和レッズでプレーしたあと、ドイツ・ブンデスリーガのボーフムへと移籍している。

長谷部誠

生年月日:1984年1月18日

藤枝東高等学校から2003年に浦和レッズへと加入した長谷部誠。学生時代は決して有名ではなかったものの、2年目からは攻撃的なポジションで出場機会を獲得し、「和製カカ」と呼ばれるようなアタッカーとして活躍した。

そして2008年にはドイツ・ブンデスリーガのヴォルフスブルクへと移籍。フェリックス・マガト監督の下で大きな信頼を受け、中盤の様々なポジションや最終ラインで使われるなど重要な存在に。日本代表でも長く中心選手となり、通算114試合に出場している。

田中マルクス闘莉王

生年月日:1981年4月24日

ブラジルから渋谷幕張高校に留学し、卒業後にサンフレッチェ広島に加入した田中マルクス闘莉王。それから水戸ホーリーホックに移籍し、日本に帰化して2004年に浦和レッズへと加入。アテネ五輪にも出場した。

最終ラインから攻撃に参加する特異なプレーを武器とし、2006年にはリーグ初優勝に大きく貢献。さらにAFCチャンピオンズリーグ優勝、FIFAクラブワールドカップ3位入賞など多くの栄光を手にした。所属したのは2009年までの6シーズンであったが、それ以上のインパクトがあった。

鈴木啓太

生年月日:1981年7月8日

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イヴィチャ・オシム監督に愛されたJリーグの歴史上屈指の守備的MF。「水を運ぶ選手」としてチームの汚れ役をすべて引き受け、中盤のスペースを埋めていくことができる稀有な献身性を持っていた。

高校卒業後に浦和レッズへと加入してから2年目でデビューし、15シーズンに渡って所属し続けたワン・クラブ・マンでもある。出場数も通算443試合に及び、意外ではあるが16ゴールを記録している。

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