日本人医師がガザで活動「戦争の破壊に人道援助だけでは限界」──必要なのは即時停戦

ガザ南部・ナセル病院の手術室で術後の重傷乳児を診る中嶋=11月20日 © MSF

イスラエル軍の攻撃が続くパレスチナ・ガザ地区で、国境なき医師団(MSF)日本の会長で救急医・麻酔科医の中嶋優子が12月7日まで現場に入り、南部ナセル病院で医療援助活動を行った。11月中旬から約3週間の派遣から帰任した中嶋は「必死に命をつないだが、戦争の圧倒的な破壊力を前に人道援助の限界を感じた」と語り、即時停戦を訴えた。

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エジプトからガザへ ドローンや空爆の音が響く

10月7日から激化したイスラエルとハマスとの衝突が進む中、麻酔科医の派遣要請を受けたのは10月14日だった。 「これは絶対行く」。参加を即決した。医療が不足している世界中の地域で苦しむ人たちの力になるために医師を志した中嶋にとって、迷いはなかった。 エジプトでの待機期間を経て、11月14日朝、ラファ検問所からガザ地区へ越境。13人からなる多国籍のチームで、10日間は自給自足できる水・食料を各自が持って入った。ガザ初日の夜から、空を飛ぶイスラエル軍のドローンの音が常に聞こえてきた。その後、滞在中には「ドーンドーン」という空爆の音を何度も聞き、揺れる部屋の中で死を覚悟したこともあった。 医療援助活動を行ったのは、ガザ南部ハンユニスのナセル病院。保健省が運営する、ガザ南部の主要病院だ。ここで中嶋は、麻酔科医として手術麻酔に対応するほか、救急医として救急救命室でも活動した。

ガザ南部の主要病院であるナセル病院=11月24日 © MSF

停電時は携帯のライトで手術

水や電気は、ギリギリの状況だった。手術中に停電した時は、携帯のライトで照らしながら手術を続けた。 空爆で重傷を負った患者が10人、20人と一度に運ばれて来ることも度々あり、廊下やロビーにあふれる患者に、スタッフ総出で対応した。 「爆撃の被害に遭って病院まで来られる人はほんの一部だということに気づきました。目の前の患者さんの後ろには、さらに多くの死があります」

停電時は携帯のライトを照らして手術を継続した=11月30日 © MSF 

家族全員を亡くした10歳の少女

特に印象に残っている患者がいる。空爆の被害に遭った10歳の少女だ。足が粉々に骨折しており、重度の全身の熱傷も負っている。呼吸も弱く瀕死の状態で人工呼吸器に繋がれて何とか生きていた。なんとか救命したものの、数日後には足の傷の壊疽(えそ)が進み、足の切断をしないと感染症で命が危ない。 切断手術のためには家族の同意が必要だ。だがこの子には、家族がいなかった。 空爆で全員亡くなってしまっていたからだ。それでも、手術以外に命をつなぐ方法はない。少女は手術の順番を待っている間に感染が進み、受傷後数日で息を引き取った。 なんとか救命処置をしても、この少女のように、受けた傷が深すぎて数日で亡くなる例が多かった。 「もし生き延びられても、家族を全て失った子どもたちの人生は、その後どうなるのか。命をつなげることの意味は何なのか。それさえ疑問を感じるようになっていた日々でした」 ガザの医療関係者の間で使われる「WCNSF」という言葉がある。Wounded Child No Surviving Family──負傷した子どもで、生き残った家族がいない、ということを意味する。この10歳の少女のような子どものことだ。 その現実を実際に目の前に突き付けられたのは、シリア、イエメンなどさまざまな紛争地や災害被災地で医療活動を続けてきた中嶋にとっても、初めてだった。 ナセル病院は、紛争が激化した10月7日からおよそ2カ月の間に、5166人の負傷者と1468人の到着時死亡の患者を受け入れた。犠牲者の7割は女性と子どもだった。

ナセル病院の手術室で患者の麻酔を行う中嶋(中央)=11月21日 © MSF

必要なのは即時停戦

宿泊場所の近所にはガザ各地から避難してきた人びとがおり、、たくさんの子どもたちがいた。子どもたちは明るく、人懐っこかった。中嶋の元気がなくなった心が子どもたちの明るさと可愛さに救われる日が何回もあった。 今回の攻撃では、7000人を超える子どもたちが命を落としたと報じられている。何の罪もない子どもたちがなぜ、命を失わねばならないのか。 中嶋は、ガザから帰任後の12月13日、東京で開いた記者会見で、こう語った。 「ここまで戦争の圧倒的な破壊力を思い知らされたことは、ありませんでした。この破壊力を前に、自分たちができる人道援助はあまりにも小さいと、無力さを感じました」 紛争地で活動経験を積み重ねてきた中嶋にとっても、ガザで見た破壊は、これまでのものとは規模が全く異なっていた。自分たちが手術をして1人の命を救う間に、何人もの人が新たな攻撃で命を落としている現実があった。 それでもガザの人たちにとって、封鎖されたガザに海外から援助チームが来たことそのものが、精神的な支えになったはずだ、と中嶋は信じている。 11月下旬の一時休戦が終わると、ガザ南部は再び激しい攻撃にさらされるようになった。12月4日夜、病院付近での攻撃激化を受け、MSFのチームと一部の保健省スタッフは病院から一時退避。中嶋は7日に活動を終え、帰国の途についた。 「自分は安全なところに行ける選択肢があるが、ガザの人たちには全く選択肢がない。その中で、ひたすら耐えている」。帰ることすらも、苦しい。そんな気持ちを背負いながらの帰国となった。 今回の活動で強く思い知らされたのは、命を守るためには、命を危うくする問題の根源を止めなければならないということだ。ガザへの医療・人道援助を強化することはもちろん重要だが、それ以前に、次々と負傷者と犠牲者が生まれ続ける状況そのものを止める必要がある。 つまり必要なのは、即時、かつ持続的な停戦だ。 ガザで活動した医師として、中嶋は現地での経験を日本に伝え、日本社会の中で即時停戦を求める声をもっと大きくしていきたい。そう願っている。

近くで避難生活を送る子どもたちと遊ぶ中嶋(右)=11月25日 © MSF
帰国後の12月13日に記者会見を行い、活動を報告した © MSF
即時停戦を訴える、MSF日本事務局長村田慎二郎(左)と中嶋 © MSF

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