宮本会長誕生で思い出すJFA会長ヒストリー/六川亨の日本サッカーの歩み

新会長就任が来年3月に迫る宮本恒靖JFA専務理事[写真:©超ワールドサッカー]

JFA(日本サッカー協会)は12月24日に臨時評議員会を開き、次期会長選挙で唯一の立候補者となっていた宮本恒靖専務理事を会長予定者として承認した。信任投票の結果、出席者74人のうち38票以上を得たそうだ。来年3月の理事による互選を経て、正式に会長となる。W杯出場経験者で元JリーガーがJFA会長になるのは初めてのケースだ。

宮本専務理事は2002年と2006年のW杯2大会に連続して出場。現役引退後はFIFA(国際サッカー連盟)が運営する大学院「FIFAマスター」でスポーツ関連法や経営論を学び、G大阪監督を経て22年から協会理事、23年春から専務理事を務めていた。46歳という年齢での会長(第15代)就任も戦後最年少となる。

JFAの会長は、長らく名誉職でありボランティアの時代が続いた。そうした時代を変革したのが第8代会長で、70年代はJFA理事の長沼健氏だった。長沼氏は当時の会長だった野津謙氏(55年~76年の第4代会長)は、医師であり「哲学者だった」と述懐し、西ドイツでデットマール・クラマー氏と会い意気投合して日本代表のコーチに招聘した功績を称えた。

しかしながら70年代に入りに日本サッカーが「冬の時代」に突入すると、JFAの財政は開業医の野津会長の個人的な信用で借金を繰り返す「自転車操業」になった。そこで長沼氏は協会の組織を近代化するには野津会長では限界があると感じ、元日本代表でJFA副会長の篠島秀雄氏(三菱化成工業社長。三菱ダイヤモンドサッカーの生みの親)に会長就任を打診。しかし篠島氏は75年に急逝したため、同氏から推薦された新日本製鐵社長の平井富三郎氏に会長就任を依頼した。

長沼氏が平井氏に会ったのは四谷にある料亭だった。長沼氏が国産のマイカーを運転して(同氏は下戸だった)門をくぐると、門番に呼び止められて「お迎えの車は裏口でお待ち下さい」と言われたそうだ。「こうした料亭に自分でクルマを運転して来るお客さんはいないようで、迎えに来たお抱え運転手と間違えられたようです」と長沼氏は後年、笑って話した。

三菱、日立、古河といったJSL時代の“丸の内御三家”も大企業だが、当時の鉄鋼メーカーは日本の基幹産業でもあった。その筆頭の新日鐵の社長を会長に迎えたのだから、JFAとしては大英断だったに違いない。平井会長時代のJFAの忘年会は代々木にある新日鐵の「山谷寮(現在は代々木倶楽部)」で行われ、1階の大広間には当時の代表監督にJFAとJSLの職員や関係者、新聞やテレビ、サッカー専門誌の記者ら80人近くがすき焼きを食べながらサッカー談義に花を咲かせた。たぶん会費は平井会長が面倒を見てくれたのだろう。支払った記憶はまったくない。

そして76年に専務理事に就任した長沼氏は、チーム登録から個人登録制度を採用して個人から会費を徴収。底辺拡大のために77年から全日本少年サッカー大会をスタートさせ、それまで関西で開催されていた全国高校サッカー選手権も77年から国立競技場など首都圏開催に移し、全国ネットのテレビ放映で普及を図った。

第5代の平井会長は76年から87年まで11年間務め、その間には長沼専務理事とともにジャパンカップ(現キリンカップ)の創設やトヨタカップ(インターコンチネンタルカップ)の日本誘致などで協会の赤字解消に貢献した。そんな長沼氏をJFA会長に推す声も多かったが、長沼氏は固辞して副会長として第6代の藤田静夫会長(87~92年。JFA理事で京都サッカー育ての親)、第7代の島田秀夫会長(92~94年。三菱重工副社長)を支え、Jリーグの創設とW杯招致に尽力した。

長沼氏が会長に就任したのは94年のこと(第8代会長)、64歳だった。日本代表監督の経験者が初めて会長に就任した。そして日本のW杯初出場を見届けると4年の任期で会長職を岡野俊一郎氏にバトンタッチ。岡野氏も4年で後進の川淵三郎氏に会長職を譲ったが、日韓W杯の成功もあって第10代の川淵会長(02~08年。Jリーグチェアマン)から会長職は有給となって今日に続いている。

その後は犬飼基昭会長(浦和レッズ社長)が08~10年、小倉純二会長(FIFA理事)が10~12年とそれぞれ1期で退いたが、第13代の大仁邦彌会長(強化委員長)は12~16年と2期4年、第14代の田嶋幸三会長(FIFA理事)は16~24年の最長となる4期8年、会長としてリーダーシップを発揮した。

そして宮本新会長である。46歳という若さに期待する声も多いだろう。しかし理事職1年、専務理事になって1年にも満たない実務経験の不足を不安視する声も聞こえてくる。前任の田嶋氏は06年に49歳で専務理事になったが、10年に専務理事と副会長を兼任しつつ、16年の会長就任まで10年間に渡り専務理事として記者とのブリーフィングに臨んできた。

余計なお世話だが、現行の規約で会長職は4期8年が最長である。来年2月で47歳を迎える宮本氏は、55歳で会長職を退き名誉会長になることになる。これはこれで、もったいないと思わずにはいられない。


【文・六川亨】

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